夢色

9 日常

   
「先生、おはようございます」

「おはよう」

廊下で交わされる生徒と教師の何気ない朝の挨拶。
あたしは田崎が視野に入っただけで緊張して、「おはようございます」と言うまでの間の数秒をとてつもなく長く感じた。

すれ違う一瞬に、田崎の唇がちょっと微笑んでいるのに気付いたことがあった。
あたしはただそれだけで、1日中嬉しくて機嫌がよくなってしまう。
喋ったりできなくても、ちょっとした彼の仕草に一喜一憂してしまう。


先生の視線や、言葉をもっともっと感じたくて、
…だけど学校では絶対そんなことできなくって。
あたしは会いたくて会いたくて、毎日が切なくてたまらなかった。
目の前においしいものがあるのに、ずっとおあずけされてるイヌみたいな気分だった。

あたしがメールを送ると、暫くして先生から返信が来る。
その「暫く」は、その日だったり、次の日だったり、その次の日だったり色々だったけど、変わらないのは必ずメールを出してるのはあたしだって事だ。
田崎の方からメールが来ることはない。
それがすっごく寂しかったけど、意地張って出すのをやめてみようかとも思ったけど、やっぱり会いたくてガマンできなくなってメールしてしまう。
田崎と会えるのは、1ヶ月に1回だったり、2ヶ月に1回だったり、とにかくそんなに頻繁に会うことはできなかった。


絶対に言い切れることがある。
――― あたしは、片想いしている。

3月に入って会ったとき、田崎はすごく疲れてるみたいだった。
だけどちゃんと迎えに来てくれて、そしてあたしを抱いた。
その日はエッチが終わると、彼はベットですぐに眠ってしまった。
あたしは横で、田崎をしみじみと見つめた。

大人の、肌。
こうして目を閉じて無防備な彼は、実際の年齢よりもちょっと若く見える。
手を伸ばして、そっと彼の頬に触れてみる。
ぐっすり眠っていて、触ったぐらいじゃ起きないみたい。
あたしは、もっと田崎に近付いた。
「……」
そっと唇にキスしてみる。

(あぁ、…もー…好きだよー……)

心の奥から、何ともいえないもどかしい気持ちが溢れてくる。
こんなに近くにいるのに、手を伸ばせば触れて、キスだってそれ以上だってできるのに。
あたしは彼の心が分からない。


…本当は分かっているのかも…

この関係は、あたしが手を離せば終わってしまうこと。

きっと、「好き」と言葉にしたときに、失ってしまうこと。

そう思うと、どうしようもなく切なくなってきて、目が潤んでくる。
こんなに大好きなのに、手に入らない。
目の前に温もりがあるのに、いつも心の中は寂しい。

あたしは眠ってる田崎の左肩にそっと頭を乗せて、目を閉じた。
彼の胸に自分の手を置くと、彼の心臓の動きを感じる。
あたしはやっぱり、ちょっと泣いてしまった。

2年になるとクラス替えがあって、あたしはC組になった。
さくらとテルはB組で、なんと担任は田崎だった。
あたしは田崎が担任じゃなくてガッカリしたような、超ホッとしたような気分だった。
隣のクラスに先生がいると思うだけでつい、ホームルームの時間は黒板を凝視して、超能力者になれたらいいのにとか、バカみたいなことを真剣に考えたりしてた。
この場所に田崎が毎日いると思うと、脳みそだけさくらと交替できたらとか想像したりもした。
用事がないのにさくらのクラスに行っては、しょうもない事を喋ったりした。

 
「お前、よくこの教室にいない?もしかしてオレに未練があんの?」

テルはクラスが変わってから、普通に話ができるようになった。
こいつはやっぱりイイヤツだから、気まずいままで終わらなくて良かったと本心から思った。
「最近は、彼女とうまくいってんの?」
あたしは何の気なしに聞いた。
「びみょー」
テルは冗談めかして答えた。
「まあ、あんたはモテるからあの子にこだわらなくてもいいんじゃん?」
あたしはちょっと「彩」って子が気にいらなかったから、心なくそう言った。
「そう思う?…何かオレ束縛されるのって苦手なんだよな」
テルは笑ってあたしの頭を触って去っていった。
(確かにあの子はテルを束縛しそうだよなぁ)

先生がいなかったら、あたしは今頃まだテルと付き合ってたのかも…ってふと考えた。
でも、どうなってたかなんて分からないし。
変わったようであたしにとってのテルの存在はあんまり変わっていない。
ただ「彼女」っていう立場じゃなくなっただけで。

やっぱり「好きだ」って思える人と付き合わないといけないなって、当たり前すぎることを今更実感として思う。
同じクラスで今仲良くしている涼子は、男子には全然興味がないみたいに振舞っているのに、学校の外ではめっちゃ男とやりまくってる。
自分がされてる噂とかも、全然気にとめてないみたいだった。
学校の帰りに二人でお茶してたときに、何気なく聞いてみた。

「涼子は、付き合おうとか思う相手はいないわけ?」
涼子は嫌味のないキレイな茶色に髪を染めて、肩の下あたりでゆるいウェーブにしてた。
彼女は同性のあたしから見ても、キレイな女の子だ。
ピカピカに磨いてカワイイピンク色のマニキュアをした指で、ストローをいじりながら考えてる。
「それだけのルックスだったらさ、涼子めちゃくちゃモテそうじゃん」
あたしは思うままに言う。
涼子はその言葉を聞いて、にこにこ笑う。
笑うとちょっと幼くなって、それがまたものすごく可愛い。
「えぇ〜、麗佳にそんなこと言われるなんて〜。その言葉麗佳にそのまま返すよ」
そう言ってまたにっこり笑う。
(カワイイ……ホント、何で彼氏いないんだろ)

「なんて言うの〜〜?付き合うとかって、めんどくさくない?
…性欲は、また別だから、それはそれって感じなだけだよ〜〜」

男みたいなその感性に、あたしは正直びっくりする。
「良かったら、麗佳も一緒に遊ぼうよ。また気が向いたら言ってくれればいつでも」
涼子の「遊ぶ」っていうのは、イコールセックスするってことだ。
「う〜ん、…とりあえず遠慮しとく。」
あたしがそう言うと、涼子は笑った。
「じゃ女同士で買い物とか行こうよ。あとお店探検とか。
やっぱ女の子じゃないと分かんないことっていっぱいあるよねぇ」
喋り方は甘ったるいけど、涼子は女の子特有のべったりさがない。
それは彼女の「軽さ」なのかも知れない。
彼女のことを悪く言う子は多かったけれど、あたしはさっぱりとした性格のこの子に好感を持っていた。


田崎とセックスして思った。
好きな人に抱かれるのは本当に嬉しい。
そして、好きな人に心無いまま抱かれるのは同じぐらいツライ。
だからあたしは、前みたいに軽い気持ちでエッチができなくなった。


「先生〜〜」
ふざけた感じで、あたしは田崎の肩に腕をまわす。
彼はそのままあたしを受けとめて、そしてベットに押し倒す。
その状態で、田崎と目が合う。
(先生、欲情してる……)
最近は彼の目つきの変化を感じ取ることができる。
彼の息づかい。大人の男の匂い。

「梶野…」

田崎はあたしの髪を撫でる。
まるで、愛しい人にそうするように。
先生の目は、欲情の量と同じぐらいの優しさであたしを見てる。
愛されているような錯覚に、あたしは切なくて目を伏せる。
最近は行為の最中に、目を閉じたままでいることが多くなった。
大好きな彼に抱かれているのに、
彼はあたしを大好きなわけじゃない。

先生は、何を見てるの…


あたしには何となく分かる。
あたしがテルや前の彼氏とそうしていたように、田崎にとってもあたしは単に居心地のいい存在なんだろう。
それ以上でも、以下でもなくて。
そしてどうしようもなく大きな現実がある。

あたしたちは、教師と生徒だということ。

過ぎていく毎日の学校生活、田崎の気配ばかりを探してしまう。
見つけても、手をのばせない。
だけど探さずにはいられない。
毎日、同じ事を繰り返す。
まれに彼のちょっとした表情があたしに向けられたとき、あたしは泣ける程嬉しくて、
そしてまた探してしまう。

毎日、あたしのためだけに一瞬でも微笑んでくれたらいいのに。
あたしのちっぽけな夢は、決して叶わなくて、とても苦しい。

 

ラブで抱きしめよう
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