ラブで抱きしめよう

☆3 噂

   

今日の太郎くんは、いつもと違う。

まだ付き合って2週間しか経ってないけど、いつもの太郎くんはちょっと恥ずかしそうに、そしてとても嬉しそうに私を見てくれるのに。
気のせいか、なんだか気まずい。

私の家の最寄駅で降りた。
太郎くんは学校からここまで、ほとんど私の顔を真っ直ぐ見てくれなかった。
会話だって、なんだか途切れがちだった。
改札を抜けて、私はガマンできなくて言った。
「なんか、あった?太郎くん?…それか、あたしが、何か言ったりしたかな?」
私は太郎くんの顔を覗き込んだ。
やっと太郎くんは私の目を見る。
「なんでもないよ」
言葉とは裏腹に、なんかちょっと怒ってるみたいだ。

あっという間に、私のマンションの下まで来てしまった。
太郎くんと付き合ってから、駅と自分の家の近さも全然嬉しくなかった。

「ねえ、太郎くん、気になるってば」
私は太郎くんの手を引いて、近くの川べりの方へ歩いた。

河川敷は遊歩道があって、犬の散歩をする人がたくさんいた。
私たちはそこから少し奥まったベンチに座った。
夕方のロケーションはキレイだったのに、私は太郎くんのヘンな態度に全部の気をとられていた。
「ねえ、なによ?ちゃんと教えて」
「んん…」
太郎くんは困ってる。
「気になるってば、…ちゃんと言いたいことがあるなら言ってよ」
私は詰め寄った。
太郎くんはちょっと私を見て、そして気まずそうにまた目をそらした。

しばし沈黙。
ようやく彼が口を開いた。
「何て言ったらいいのか…、くだらない事かもしれない。でもさ…」
「なに?」
初めて自分の手の冷たさに気がついた。
もしかしたら繋いでた太郎くんの手も、同じぐらい冷たかったのかもしれない。
私は太郎くんから何を言われるのか、急に緊張してくる。

「涼子ちゃんの、彼氏って、…オレでしょ?」

「えっ…???」
唐突な問いかけに、一瞬意味が分からなくて止まってしまった。

「も、勿論そうだよ、あたしの彼氏、太郎くんだと思ってるよ??」
私は慌てて答えた。
「なら、…いいんだけど。…そうだよね、…しょうもないコト聞いたな、オレ」
太郎くんは自分の言った事に、ちょっと後悔しているような顔をした。
なんとなく、なんとなくだけど、太郎くんが言いたい事…私は想像ができた。
「誰かから、何か言われたり、した?」
私は太郎くんに聞いた。
「んー…、んー。」
絶対そうだ。
誰かから、私の悪い話を聞いたんだ。
私の評判なんて、ロクでもない事は自分でも分かってる。
だけどそれがほとんどが事実なのが、痛いとこなんだけど。
(はあ……もう…)

太郎くんはうなだれて自分の手を見つめてる。
私の方を見ようともしない。
こういう時って、何て言ったらいいんだろう。
何か言い訳みたいなこと、取り繕った方がいいのかな。
だけど太郎くんに嘘はつきたくない。
…あぁ、もうイヤになってくる。
太郎くんに嫌われてしまうかもしれないと思うと、思わず指先が震えた。
だけど…。

「太郎くん…」
私は太郎くんに向き直った。


(えっ…?太郎くん…?)

私はものすごく驚いてしまった。
太郎くんは、下を向いて泣いてた。

(なんでなんでなんで??)

「どうして太郎くんが泣いちゃうの…?どうして…?なんで…?」
「ごめん、…涼子ちゃん…」
(なんで太郎くんが謝るの…?)
太郎くんの涙は、なんだか私の胸をギュっと締め付けた。
何をどんな風に言われたんだろう。
彼を見てると私まで、どうしようもなく切なくなってくる。
だけど太郎くんがどうして泣いてしまっているのか、不思議だった。
太郎くんは辛そうだった。
ガマンしてるのに、出てきちゃう涙だった。

私のせいで泣いてるの…?

「太郎くん…?」
私は太郎くんの足元にしゃがんだ。
太郎くんの手を掴んで、太郎くんを見ていたら、私までどうしてだか泣けてきた。
「ごめんなさい、あたしのせいだ…太郎くん…ごめんなさい…」
何も言われなくても、分かってた。
私のしてきた事、今も続いてる事、
…きっとそれを悪意を込めて誰かから言われたんだろう。
想像するとイヤになった。
きっと『アイツはヤリマン』だとか、『お前は遊ばれてるだけだ』とか、色々言われたんだろう。
こんな風に言われてる女が彼女だなんて、そりゃ、泣くよ…。
「ごめんね、太郎くん…」
今、目の前で泣いている太郎くんが、胸に痛い。
それは痛すぎて、心が裂けてしまいそうなぐらい。

こんな風に、感じるなんて。
目の前のこの子が、すごく大事で、私はまだ失いたくなかった。



「…泣かないでよ、涼子ちゃん」

太郎くんに言われるまで、気付かなかった。
いつの間にか、私は本気で泣いていた。
「あ…」
私は顔中ぐしゃぐしゃになってた。
だけど泣いて、ちょっと落ち着いた。
「太郎くん、何か言われたんでしょう?あたしの事。…だけどさ、でもさ、それって…っく、」
「涼子ちゃん…」
言おうと思ってる事、考えてたらまた涙が出てくる。
複数の男の子と平気で寝ちゃう自分。
太郎くんと付き合ってるのに、未だにタケルと連絡をとり続けてた。
太郎くんのことが好きなのに…。
バカだ。
改めて自分が情けない。
私って、なんでこんなにどうしようもないんだろ。

「もういいよ、涼子ちゃん…」
太郎くんが私に手を伸ばしてくる。
太郎くんの手が頬に触れると、ますます涙腺が緩んでしまう。
「ううん…、聞いて。
…もしも私の事で太郎くんまで色々言われて、イヤな思いさせてたら、…ほんと、ごめん…」
太郎くんの事が好きだって、改めて思う。
自分の一言ひとことが、自分の胸へと刺さってくる。
「だけど、私の噂は、…多分ほとんどホントだから…、そんな、…そんな私だから…
多分、それって事実だから……」
私は太郎くんが見れなかった。
私は下を向いた。

「ごめんなさい…、太郎くん…」

派手な見た目のまんまの、自分。
こんな私にちょっとでも惹かれて、好きになってくれた太郎くん。
こんなに短くこの付き合いが終わってしまう事を想像すると、どんどん涙が出てきた。

せっかく楽しかったのに。
一緒にいて嬉しかったのに。
…せっかく、好きになったのに。

嫌われてしまうかもしれないって、ホントに思った。
嫌われてもしょうがないって……
それが怖くて、辛い。

太郎くんは、私の頭に自分の額を付けた。

「噂が本当だとしても……涼子ちゃんの事…、どうしようもなく、…好きだよ」

太郎くんが私の頭を撫でた。
私は予想してなかった太郎くんの一言に、感激して、一瞬全部の思考が止まる。

『好き』…って言葉、それがこんなにも嬉しい。
急に暗いところから目が覚めたみたいに、私は今まで何をしてきたんだろうと、心底思う。
「あたしも、…太郎くんのこと、好き…。すごい好き…。好き…」
「…それじゃ、もう泣かないで。…それでいいじゃん、…」
また太郎くんが私の頭を撫でてくれた。

「泣かして、…ごめんな…」
(うわ〜ん、なんて優しいの〜)

暫くベンチに座って、太郎くんの肩に寄りかかってた。
私の涙はなかなか治まらなかったけど太郎くんがずっと触っててくれたから、だんだんと安心してきた。
私は口を開いた。
「別れるって、言われるかと思った…」
「…言わないよ」
太郎くんが私の髪を撫でる。
私の髪の肩のあたり、くるくるになってるところを太郎くんがいじる。
幼い太郎くんがホントに自分の「彼氏」になった気がして、途中から感激の涙になってた。

「あたし、…ちゃんと付き合うから」
「うん」
「ホントにちゃんとちゃんと付き合うから」
「うん」
「今までの事は…ごめんなさい」
「…うん」
太郎くんの手を、上から触った。
まだまだ、この手を離したくなかった。
そんな風に思ったの、初めてかもしれない。
不思議だ。

「オレ、…涼子ちゃんはオレの事…結構どうでもいいのかも、って思ってさ」

「ええっ!」
私は太郎くんの顔を見た。

「そんな事…」
私はちょっとショックだった。
太郎くんにそう思われてたこと。
実際に、今まで本当に自分もそう思ってたかもしれないこと。
「そんな事、言わないで」
私は少しむっとしてたかもしれない。
「うん、ごめん。…だけど、自信全然なくって」
太郎くんの気持ちも分かる。
大体、付き合いのスタートが適当過ぎたし。

「…キスして」
「……うん」

太郎くんのキスはいつも優しい。
唇が、他の人よりも柔らかいんじゃないかと思う。
やっぱり、キスするとドキドキする。
このまま太郎くんに抱かれたい。
太郎くんに抱かれるとき、どんな感じなんだろう。
唇だけで、こんなにも感じてしまうのに。


手を繋いで河川敷を歩いた。
遠くで川がゆっくり流れてる音がする。
少し涼しい風は、水と緑の匂いがした。
「日、延びたよね」
私は太郎くんに言う。
「涼子ちゃん、目ハレハレ」
太郎くんは私の顔を見て笑った。
「そっちこそ泣いたくせに」
私は太郎くんに体を寄せた。
寄りかかるには、太郎くんは小さい。
肩の高さも私より少しだけ上にあるだけで、横を向くとほとんど顔が並んでしまう。
(ちっさい人も、好きかも…)
最近は、そうも思う。というより、きっと太郎くんの色んなところが好きなんだ。
しみじみ思う。
自分の気持ちに、改めて気付いた。


―― 太郎くんのことが、こんなにも好きになったんだ。

もっとずっと一緒にいたいと思う。
明日もそばにいたい。
今日別々に帰るのが辛い。
何をするのよりも、誰といるのよりも、太郎くんがいてくれるこの時間が、幸せ。
「好き」を自覚すると、思いが止まらなくなってくる。
太郎くんの全部が、欲しくてたまらなくなってくる。

「太郎くん、明日も一緒に帰ろ?」
「涼子ちゃんはいいの?」
「うん…待ってる。一緒に帰りたい」
「うん、じゃあそうしよう」
頷いた太郎くんは、たまらなく可愛い笑顔になった。

この笑顔があれば、私は何もいらない。
今までの自分がしてきた事、それは変えられないけれど、明日からの自分は変えられる。

きっと太郎くんが変えてくれるだろう。

 

ラブで抱きしめよう
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