ラブで抱きしめよう

☆うわさ(太郎くん番外編)

   
初めて涼子ちゃんとキスして、急に「ホントにオレの彼女」なんだなって実感した。
嬉しいとか、そういうのを超えた感じだった。
正直言って、中学の時に付き合ってた子ともキスぐらいはした。
だけど涼子ちゃんとするキスは全然違った。
直結して体に響いてくるような(欲情してるだけか?)キスだ。
手を触って擦り寄ってくる涼子ちゃんは、本当に可愛い。
力一杯抱きしめて、もっと実感したかったけどとりあえず今はガマンだ。


「付き合う」事になってから、色んな事が急展開過ぎて自分でもピンとこなかったけれど周りの反応は凄かった。

「しかしホントに太郎がゲットしちゃうとはな」
同じクラスのヤツは半信半疑だ。
「昨日一緒に帰ってるの見たぞ」
「一緒にいるの見ても、なっんかしっくりこないな」
大体がやっかんでるってのは分かる。
オレが涼子ちゃんに告白しようと思ってた事は、誰にも言ってない。
だけど、「春日さんがめっちゃいい」って言ってた事は知られてる。
だから仲間内からもこの交際は降って湧いたみたいな出来事だった。
「オレもまだ実感ないよ」
それは、ホントに正直なところだった。

オレと一緒にいる涼子ちゃんは、オレのことを真っ直ぐ見てくれていつも微笑みかけてくれる。
その笑顔は強烈に可愛くって、自分でもこの状況を信じられなかった。
だけど涼子ちゃんにキスするとき、涼子ちゃんを抱きしめるとき、誰よりも近くに涼子ちゃんを感じることができた。
いつか近いうち、もっと体ごと近づけるかもしれないと思ったら、涼子ちゃんのそばにいるだけでどうにかなりそうだった。
毎日、涼子ちゃんの顔を見るたび、オレは涼子ちゃんにどんどんハマっていった。


「でもよ〜、年上だしさ、すっごい遊んでそうじゃねえ?」
「太郎くん、遊ばれちゃうかもよ〜」
「オレなら遊ばれてもいいよ〜、是非一回やらしてほしー」
周りは、心ない事言うヤツばっかりだ。
「うるっせぇなぁ、お前らは」
オレが半分マジでむっとしてたら、気配に気付いたらしい。
自然に話題は他のことに移っていった。

涼子ちゃんと付き合ってるのが部内のヤツらにもばれてきて、
(一緒に帰ったりしてるから、そりゃバレるよな)
勿論先輩たちにもそれを面白くないと思ってるヤツらはたくさんいるわけで。


部活の始まる前の時間、コートを拭いたモップを片付けてたときだ。
「なー藤田」
露骨に敵意を剥き出しにして、3年の卯田が話し掛けてきた。
「なんすか」
「お前、春日と付きあってんのか?」
オレは内心関係ないじゃんと思いながらも、渋々答えた。

「付き合ってます」
「へー」
何だよ、へーって。
「お前、あいつがどんなヤツだか、知ってんの??」
「…」
卯田は、ケンカ売ってきそうな気配だった。
まあ売ってこられたら買うけど。
オレの方が背も低いしかなり不利だとは思うけど、涼子ちゃんのことなら今のオレは誰よりも強くなれる気がした。
「あいつ、誰にでもヤラせるようなヤツなんだぜ?」
「…」
「中学の時から有名だぜ?あいつ学校で彼氏いないだろ?…それって、誰もあいつの事なんてマジに思わないからだぜ」
彼女に対するあまりに無遠慮な言い方に、さすがにオレもムカついてきた。
「でもオレはマジですから」
卯田の顔色がちょっと変わる。
しかしすぐにニヤニヤと嫌な笑いになった。

「お前がマジでもよー、あいつ的にはどうなんだよ」

「…」
「今だって、お前、あいつの複数の男のうちの一人なんじゃねぇの?」
「……」
「簡単に捨てられちゃうんじゃねぇ?…っていうか今も遊ばれてるだけだべ?」
言い返す気もなくなってきた。
「まぁ、あいつにヤらせてもらえるだけ、…いっか」
何なんだよ…。

「オレも、中学の時、ヤらせてもらったしな」

卯田が勝ち誇ったようにオレの顔を見る。
嫌な笑いを浮かべて、さっさと立ち去っていった。
オレは卯田の最後の台詞に、しばらく頭が真っ白になった。


涼子ちゃんと付き合えて、有頂天になってた。
正直言って「付き合える」ってだけで、一緒にいられるだけで、話ができるだけで、近くで顔を見られるだけで、オレにとっては宝くじが突然当たったぐらいのラッキーな感じだった。
だけど今、卯田の言葉を聞いて、オレの中で強烈に涼子ちゃんを独占したい気持ちが芽生えてるのに気付いた。

涼子ちゃんを、オレだけのものにしたい…
涼子ちゃんにとって、男はオレだけでありたい…

簡単に始まりすぎて、オレは涼子ちゃんのことを何も知らない。
オレの目の前にいる涼子ちゃんが、『全て』でいいじゃないかとも思う。
でも。

でも、卯田の言うとおり、オレは涼子ちゃんにとって何人もいる男のうちの一人なのかも知れない。
……多分、そんな感じなんだろう…。
我ながら情けないけど、正直全然自分に自信なんてなかった。
卯田が言った、「オレもヤらせてもらった」って台詞、それもかなり引っかかった。
猛烈に口惜しい。
オレは、あいつに何も言い返せなかった。

涼子ちゃんにとって、オレって何なんだろう。


その日の帰りは、自分でも態度がおかし過ぎたと思う。
涼子ちゃんが一生懸命話し掛けてくれてたのは分かった。
なのに、きちんと答えられない。
目の前にいる涼子ちゃんはオレの彼女なのに、オレだけのものじゃないのか…?
猜疑心と独占欲と、現実を見る怖さで、涼子ちゃんのことをまともに見れない。
改札を出たとき、涼子ちゃんがとうとうオレに言った。
「なんか、あった?太郎くん?…それか、あたしが、なんか言ったりしたかな?」
涼子ちゃんがしっかりとオレを見てくる。
オレはそんな真っ直ぐな視線がちょっと辛かった。

涼子ちゃんに引っ張られるまま、涼子ちゃんのマンションの近くの川沿いの公園まで行った。
ベンチに座ると、涼子ちゃんはしばらく黙っていた。
オレも何て言っていいのか分からなくて、沈黙を守ってた。
やっと涼子ちゃんが口を開いて、オレの変な様子について聞いてきた。

「涼子ちゃんの、彼氏って、…オレでしょ?」

我ながらしょうもないこと言ったと思った。
オレたちは付き合ってるはずだ。
涼子ちゃんは明らかに戸惑ってる。
「誰かから、何か言われたり、した?」
どう答えたらいいのか分からなかった。

このまま、何も考えていないようにしてただ涼子ちゃんと付き合うのは簡単かもしれない。
だけど自分の中で抑えられなくなってきた独占欲が、いずれ今日のように表面に現れてしまうだろう。
涼子ちゃんが『オレ一人だけ』っていうのは、正直信じられなかった。
そう信じたいと思った。
だけどそれは、多分一方的な願望なんだろう。
確かめたいというより、現実に目を向けるのが怖かった。
かといって、もう涼子ちゃんを失えない。
自信のなさが何よりも情けなくて、言葉さえ出てこない自分がふがいない。
色々な思いがぐるぐると頭を回って、気付いたら涙が出ていた。
別れたくなかった。
せっかく始まったばかりなのに。

「太郎くん…」
涼子ちゃんはオレの方を見て驚いていた。
自分でも驚いてる。
こんな風に涙が出るなんて思ってなかった。

「どうして泣いちゃうの…?どうして…?なんで…?」
「ごめん、…涼子ちゃん…」
自分が情けなくなる。
涼子ちゃんはオレの足元にしゃがんだ。
「ごめんね、太郎くん…」
涼子ちゃんの手が、オレの手の上に重なる。
だんだんと冷静な気持ちになってくる。
涼子ちゃんを見ると、いつのまにか彼女も泣いていた。

「泣かないで、涼子ちゃん」

涼子ちゃんはハッとして顔を上げた。
涙で下睫毛が貼り付いて、そんな顔もすごい可愛かった。
オレを見上げる唇も、茶色の髪の毛も、泣いていても全部可愛かった。
「太郎くん、何か言われたんでしょう?あたしの事。…だけどさ、でもさ、それって…」
そういうと、涼子ちゃんの大きな目からまた涙が溢れてくる。
人形が涙を流すと、こんな感じかもしれないなんて、考えてしまった。
「もういいよ、涼子ちゃん…」
オレは涼子ちゃんの頬に触れた。
それがスイッチみたいに、またボロボロと大きな涙が零れ落ちてくる。
「ううん…、聞いて。…もしも私の事で太郎くんまで色々言われて、イヤな思いさせてたら、…ほんと、ごめん…」
オレはただ涼子ちゃんの髪を撫でた。
「だけど、私の噂は、…多分ほとんどホントだから…、そんな、…そんな私だから…」
オレを見つめてた目がそれる。
一瞬涼子ちゃんの下唇が震えた。
「ごめんなさい…、太郎くん…」

『ごめんなさい』の後の、次の言葉が怖かった。
オレは涼子ちゃんの頭を引き寄せて、先に言葉をつないだ。

「だけど、涼子ちゃんの事…、どうしようもなく、…好きだよ」

涼子ちゃんの体が、ビクっと反応する。
近づいていた顔が、更に近くなってオレを真っ直ぐに見詰める。

どれぐらい見つめあっていたのか。

「あたしも、…太郎くんのこと、好き…。すごい好き…。好き…」
『好き』って、お互い初めて言い合った気がする。
涼子ちゃんの口からこぼれてくる『好き』って言葉は、オレの迷いも消してくれる。
それ以上何か追求する必要があるのか?
「…それじゃ、もう泣かないで。…それでいいじゃん、…」
ホントにそれでいいと思った。
涼子ちゃんがオレのことを泣きながら好きって言ってくれる。
それで、ホント充分。
オレは涼子ちゃんの髪を撫でた。
「泣かして、…ごめんな…」


その後、涼子ちゃんはオレに「ちゃんと付き合うから」って何度も念を押してくれた。
結局オレは聞きたかったことを、ちゃんと涼子ちゃんの口から聞けた。

涼子ちゃんのマンションまで、手を繋いで歩いた。
まだ付き合って2週間しか経ってないのに、彼女がこんなにオレの中で存在感を高めてる。
付き合ってるのが夢みたいだったけど、だんだんと現実味を帯びてきて…もう離せないなって思う。
彼女の過去は、ハッキリとは知らない。
でもそれで良かった。
川沿いの道は水と緑と、夏の匂いがする。
横を見ると、彼女がいる。
肩のところで巻いている髪が風になびいて、泣いた後の顔ですらキレイな人だなって思う。
涼子ちゃんに堂々と釣り合う男になりたい。
自分に自信が持てるようになりたい。

オレたちは、何もかもこれからだ。


太郎編(うわさ)〜終わり〜

 

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