ベイビィ☆アイラブユー

ラブリーベイベー編 ☆☆ 1 ☆☆

   

ドキドキが止まらなくて眠れず、結局夜中を過ぎた頃に帰ってきたパパを出迎えてしまった。
次の日の朝は、昨晩の雨が空を洗ったみたいにどこまでも晴れいていた。

「行ってきます!」

キッチンにいるパパに声だけをかけて、私はいつもよりかなり早く家を出た。
セイチャンと顔を合わせたくなかったから。
恥ずかしかったし、好きすぎて、どんな行動をとってしまうか不安だったし…。


「暑いなあ……」
学校に着いたら即、食堂の自販機でお茶を買うつもりだった。
これまでも暑かったけれど、昨日の台風一過のおかげでもう本気の夏が始まってしまった。
「はあ…はあ…」
慌てて家を出てしまったので、朝からあまり水分を取っていなかったせいもある。
ノドが乾いて死にそうになりながら、私は自販機の前に立った。
「あっ!ええっ!」
小銭がちょうど10円足りない。
お金を下ろしたばかりで、後は1万円しかなかった。
「うそぉ…」
私は一人、自販機のペットボトルを見てガックリと肩を落とした。

「どうかしたの?」

その声に顔を上げると、どこかで見たような男の子。
茶色の髪で、おまけに透けそうな茶色の瞳、微笑んだ笑顔はすごく綺麗。
「あ、あの……どこかで?」
「えっ!覚えてないの?ホントに?」
そう言ってその男子は頭を抱えた。
「ご、ごめんなさい……」
あやまりながら、私は懸命に思い出そうとした。確か…。

「征爾の家で、会ったよ。…『いとこちゃん』でしょ?」
「ああ…」
思い出した。
廊下でバッタリ会った、セイちゃんのお友達だ。


「ごめんなさい…ありがとう」
彼、中村陸人くんに私は10円借りて、無事にペットボトルのお茶を買うことができた。
お茶を手にしてしまうと、私はあまりのノドの渇きに、つい言ってしまった。
「あの……お茶、飲んでいいかな?」
「うん?どうぞどうぞ」
一瞬きょとんとした中村くんにおかまいなしに、私はキャップを空けると一気に半分飲んだ。

「ノド、渇いてたんだね?」
中村くんはすごく笑ってる。
私は何だか恥ずかしくて、変なことしちゃったのかなと思う。
「あのぉ……必ず返すから…ホントにありがとう」
「いいよいいよ、10円ぐらい」
中村くんはにっこり笑う感じがなんとも優しくて、すごく好印象だ。
「ううん…、じゃあ、セ…堀尾くんに渡して置くね」
「えっ、それは困るな」
中村くんは眉間に皺を寄せる。
「……?」
(困る?)
意味が分からずにいると、すかさず中村くんが言った。
「今日の帰り、門で待ってるからさ。その時に返してよ」
(帰りなら、購買で崩して渡せるかな…)
「うん」
私は頷いた。
「じゃあ、忘れないでよ。待ってるからね、詩音ちゃん」
爽やかな笑顔で、中村くんは去っていった。


ペットボトルを手に教室に戻ると、早く来てたクラスメートから声をかけられた。
「津田ちゃん、見たわよー」
「えっ?」
クラスメートの『見た』という一言に、私はセイちゃんとのキスを連想してしまった。
「食堂で、中村くんと!」
「あ、ああ…」
セイちゃんとのことなワケない。当たり前だ。
自分がバカ過ぎて恥ずかしくなる。
「私はバスの都合でいつもこの時間に来てるけど、津田さんもっと遅いじゃない?もしかして、中村くんと…」
細身の女子はメガネ越しに、好奇心いっぱいといった感じだった。
「ううん!ううん!ほぼ初対面!お茶買おうとしたらお金が足りなくて…ちょっと、借りちゃった」
私は持っていたペットボトルを見せた。
「ふーん。宮部さんたちに見られると、うるさいよー。気をつけてね」
「あ、うん……」
親切心なのか興味本位なのか分からないクラスメートから離れて、とりあえず私は自分の席に向かった。

(そうだった………)

セイちゃんたちのグループは、すごい人気だったんだ。
全然気にしてなかったけれど、セイちゃん以外の男の子もそれぞれにみんなカッコ良かった。
(中村くん……そう言えばいたなあ……)
セイちゃんとは全く違うキャラクターの彼。
(ホントに宮部さんたちに見られたら、大変かも……)
でも一学期は明日で終わりで、私は軽く考えていた。
それよりも、昨日のキスが…。

「はあ……」

どうでもいい消化授業を受け流しながら、私は昨晩のことばかり考えていた。
昨日だけで、セイちゃんと色んなことがあった気がする。
(夕方は、セイちゃんに……)
押し倒されて危なかったことだって、今冷静に思えば大変なことだった。
私の胸は完全に露出されていて、そこにセイちゃんの頭があったんだ。
そう考えるとゾクっとした。
怖いとかじゃなくて、違う。
もっと、興奮に近い…。
(ああ、もうっ)
私は首を振った。
あんな風に押し倒されたって、そのままされたならばきっと体は反応してしまっただろう。
これまでセイちゃんに色々されたせいで、私の体はすっかり感じやすくなっていた。
それに多分、もう体だけじゃない…。
胸が痛くなった。
セイちゃんのことを考えると、甘い気持ちと苦(にが)い気持ちが一緒になって、混乱してしまう。
苦しいぐらい好きになってしまった。


帰り、靴を履いて昇降口を出たところで萌花ちゃんが言った。
「詩音ちゃん、夏の予定は?」
「えーっと、夏の予定は〜…」
言いかけてそこでハっとした。
(………予定!)
すっかり忘れてた。
(放課後、中村くんにお金を返すんだった!)
「ごめん!萌花ちゃん!約束してたの忘れてた!!ごめん、また電話するね!」
突然のことでただ手を振る萌花ちゃんを後に、私は反対側にある男子側の門まで急いだ。


「はあ…はあ…」
ダッシュとまではいかない急ぎ足で、私は門まで来た。
朝よりももっと暑くて、あっという間に汗をかいてしまう。
すぐに教室を出たせいか、幸い、中村くんはまだ来ていなかった。
「暑い〜…」
私はカバンからタオル地のハンカチを取り出して、額の汗を拭いた。
門で立っていると、時々私に気付いた男子がじっとこちらを見てくる。
(あ……)
ここは男子部の門で、こんなところに女子部の制服を着た子がいたら、すごく目立ってしまう。
「結構可愛くねえ?」
「誰待ちだよ…」
コソコソと話す声が聞こえてきて、恥ずかしくてこの場から消えたくなった。

「ごめん、待っちゃった?」

後ろから爽やかな声が聞こえた。
改めて見る中村くんは甘カワ系の男の子で、女子から人気があるのも激しく頷ける。
それに背がすごく高い。
「あ、あの…」
私は中村くんを見上げて言った。
お金を渡して、早くこの場所から立ち去りたかった。
「こんなところでお金のやり取りするのもなんだから、とりあえず歩こうよ」
「えっと…」
(お金、って10円なのに…)
だけど中村くんのペースに嵌って、私は彼と一緒に歩いて駅まで向かう羽目になった。


(目立つなあ……)

この学園の制服の女子と男子がツーショットで歩く、というのは公認カップル以外ありえないことだった。
隣にいるのは、よりによって超人気者の中村くんだ。
駅に着いたら、すぐに10円渡して去ろうと思っていた。
「あの、じゃあこれで…」
私が財布を手にすると、中村くんはにっこりして言った。
「送っていくよ、送らせてよ」
こんな事を言っても全く嫌味がなくて、それどころかその申し出を断ることがすごく悪いことのような気にさせられる。
「征爾の家の方でしょう?」
中村くんは私の進行方向の一歩前を歩いた。
仕方なく私は彼について行った。

「あれ?駅が違うの?」
「…家は近いけど、堀尾くんの通ってる駅とは違うの」

結局中村くんと一緒に、自分が普段通っている最寄り駅まで来てしまう。
「あの、本当にここまででいいよ?」
「もしかして、詩音ちゃん、ボクと話したりするのするのイヤ?」
ちょっと甘えた目で中村くんが言った。
「えっ……そ、そんなことないけど…」
「それか、彼氏に怒られちゃうとか?」
「か、彼氏なんて、いないしっ……」
そんなこと聞かれて、またセイちゃんのことを考えてしまう自分が恥ずかしくなる。
「じゃあ、家まで送ってくよ」
そして中村くんは素敵な笑顔で私を見た。

私がボーっとしてるせいか、完全に中村くんのペースだった。
多分、彼は女の子を口説くのが抜群にうまいんだと思う。
普通の人が言ったら嫌味になりそうなことも、彼の口から出れば素直に頷ける雰囲気になる。
「あのさー、中村君じゃなくて“陸人”でいいからさ」
「えっ……、で、でもあの」
セイちゃんのお友達とは言え、さすがに呼び捨ては気が引ける。
それにそもそも私は男の子と普通に話すのはすごく苦手だったりするし、正直困ってしまった。
「気、使わなくてもいいよ。一応征爾とは仲良くしてるし」
「じゃ、…じゃあ、『陸人くん』…」
私の言い方を聞いて、中村くんはおかしそうに笑った。
彼は常に柔らかい雰囲気で、私もだんだんと慣れてきた。

「征爾と、似てないね」

「あ……、そうだね」
セイちゃんと血がつながっているわけじゃないから、似てないのは当たり前だ。
だけど一応イトコってことになっているから、私は適当に話を合わせる。
「女の子で征爾と似ててもなあー、困るよなあ」
「うん、それはそうかも」
私も頷いた。
セイちゃんの雰囲気は少年って感じで、確かに女の子っぽさは感じない。
「でも似てなくてよかった!詩音ちゃん、すげー可愛いもん」
「………」
(すげー可愛い、って…)
中学に入ってからは、私はセイちゃん以外の男子とほとんど話したことがない。
もちろんそんな風に言われたことも全然なかった。
なんて答えていいのか分からなくて、だけど恥ずかしくて、私は真っ赤になってたと思う。
「そういうところも、可愛いよなあ」
陸人くんがあんまり私のことをじろじろ見るので、私は自分自身がなんだかいたたまれなくなってくる。
(はあ……)
胸の内でため息をついて、顔を上げるともうすぐに家だった。

もともとはセイちゃんの家の裏口だったここは、少し手を加えて一応独立した家の玄関のように見える。
「じゃあ、ここで…」
「ここが詩音ちゃんちなの?デッカイなあ!さすが堀尾一族!」
確かに堀尾家の家の壁はがっしりしていて、裏口なのにしっかりと門が構えてあった。
入り口はすごく小さいけど、戸を開けなければ確かに立派に見えた。
「詩音ちゃん、携帯番号交換しようよ」
そう言って、陸人くんは携帯電話を出した。
特に断るうまい理由も見つけられなくて、私も仕方なく携帯を出し赤外線通信をした。
「それじゃあね、詩音ちゃん。今度ゆっくり会おうね」
まっすぐに私を見て、にっこり笑う陸人くん。
「えっと…、お、送ってくれて…どうもありがと…」
こんな風に男の子に見つめられたことがないから、私はドギマギして思わず目をそらしてしまった。

「じゃ!」

陸人くんは爽やかに去っていった。
「はあ……」
癒し系っぽい人だったけど、とにかく男の子と一緒にいたっていうだけで私はどっと疲れてた。
「ただいまー」
家に入ると、陸人くんのおかげで一瞬考えていなかったセイちゃんのことをまた思い出してしまう。
カバンを置いて、ベッドに座ってしばらくボーッとした。
外が暑かったせいもある。
「あーん……、もう…」
どんな顔してセイちゃんに会ったらいいんだろう。
こうして腰掛けているベッドに、昨日はセイちゃんが座ってた。
もう色んなことを思い出してしまい、自分の部屋にいるのに私は落ち着かなかった。


夕方になり、パパを手伝うために仕方なく私は堀尾家の方のリビングに向かった。
幸い、昨晩が遅かったおかげで今日パパはお休みだった。
セイちゃんはまだ帰っていないみたい。
昨晩の台風がいかにすごかったか、パパと話しながらキッチンに立っていたら、玄関が開いた音がした。
心臓がドキドキしてくる。
セイちゃんが帰ってきたんだと思って、私はしばらくキッチンにいた。
「ただいまー、昨日は大丈夫だった?」
セイちゃんとは違う声がドア口から聞こえる。
おじ様が出張から戻って来たのだった。
「あっ、おじ様!おじ様こそ、大丈夫でした?」
私は気が抜けて、久しぶりに会ったおじ様にたくさん話しかけてしまった。
(そっか……)
今日は最近にしては珍しく、この家の住人全員が揃う日になった。
私は本当にホっとした。

「あれ?珍しいじゃん!」
夕飯時に少し遅れて帰ってきたセイちゃんも、久しぶりのにぎやかな食卓に驚いていた。
制服姿のセイちゃんと少しだけ目があったけど、セイちゃんは顔色を変えずに私から目をそらした。
私の緊張は一気に高まってしまう。
セイちゃんは何事もなかったように、パパやおじ様の前で普通の態度をとった。
私もできるだけ普段どおりでいようと心がけたけれど、不自然なぐらいセイちゃんのことを見れなかった。
すごくドキドキしてた。
油断すると、指先が震えそうだった。
セイちゃんは夕食を食べると早々に自分の部屋に戻ってしまい、その夜はそれきり会わなかった。


「…セイちゃん……」

私は自分の机に座り、今日何度ついたか分からないため息をまたついた。
窓の向こう、カーテンを開ければセイちゃんの部屋が見える。
開けたい気持ちもあったけれど、そんな勇気はなかった。
それなのに頭の中はセイちゃんの部屋を想像してばかりいて、もう気になってしかたがない。
「ああん、セイちゃん……」
萌花ちゃんに電話した後、携帯ですらセイちゃんを意識してしょうがないから、私はカバンの奥にしまってベッドに入った。



―― 翌朝、携帯を見ると陸人くんからメールが入っていた。
セイちゃんじゃなかったことにガッカリしたけれど、同時にちょっとホっとしたりもしていた。
朝食も4人でとったおかげで、セイちゃんとのやり取りはほとんどしないで済んだ。
どうしても自然な態度をとれない私。
セイちゃんはそんな私をどう思ってるんだろう。

セイちゃんと二人できちんと話したい気持ちもあった。
見ないようにしていても、気持ちは100%セイちゃんの方ばかり向いてしまう。

やっぱりセイちゃんが好き。
あのキスが忘れられない。
体の奥から、心の芯から、ドキドキが溢れてきて胸がつぶれそう。



なんだかもう、どうにかなりそうな気分のまま、今日で一学期が終わる学校へと向かった。
 

 

ラブで抱きしめよう
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