すっげーキスしたい。
そのぽっちゃりした柔らかそ〜な唇に。
(確かに柔らかかったんだけどな)
オレを見上げる目つき。
話をし出すときに、ちょっと困ったような眉になるところも、すごい可愛い。
なんていうか、何気ない表情が切なげなんだよ。
「男を惑わすキャラ」っていうのは、多分こういうタイプなんだろう。
だけど、本人はそんな事全然気付いてない。
顔を見ただけで欲情しましたなんて、本人には言えるわけがない。
「久しぶりだよな、麗佳と出かけるの」
「そうだね。高1以来だもんね」
はっきり言って目のやり場に困る。
麗佳はキャミソールを2枚重ねて、その上から薄い半袖のカーディガンっぽいのを着ていた。
胸がガっと開いていて、角度が変わると谷間がくっきり見える。
オレと付き合ってたときよりも、ずっと胸がデカくなってるような。
そんなことを考えているうちに麗佳に連れられて、オレらは品のいいレストランに入った。
客は女ばっかりだ。
何となく視線を感じる。イヤなんだよな。こういうところ。
女が好きそうな店は、大体が男が行きにくい店だ。
雑誌に「デートで使いたい」なんて書いてある店は、ほとんどの客が女だ。
麗佳は予約していたみたいで、奥の方へ案内される。
ここなら他の客の視線を感じないで済む。
「テルは、すごいなぁ」
麗佳が言う。
「なにが?」
オレは答えた。
「だって、お店のお客さんめっちゃテルの事見てたよ。
やっぱカッコいい男は違うなぁ!」
「あのなー…」
オレはイスに深く座りなおす。
「男の客がいないからだろ、…ただ単に」
「そんな事ないよ。わざわざ振り返って見てた人もいたよ」
正方形のテーブルの角を挟んでオレ達は並んでる。
この距離感、何だかオレらにはちょうど良かった。
「何飲む?」
オレは麗佳に言う。
「テルはお酒強いの?」
「多分普通だと思うけど。…麗佳は?」
こんな話をしてるオレ達がおかしい。
ちょっと前まで、高校生だったのに。
「どうかなぁ…。あんまり分からないなぁ。そんなに量飲んだことないし」
酔わせてみたい…
オレは真剣に思ったけど、今日いきなりっていうのはな。
「オレは汗だく。ビールにするわ」
麗佳はオレを見てにっこりする。
その、にっこり、がいいんだよな。
「じゃあ、あたしもマネしよ♪」
麗佳はニコニコしながら、オーダーを頼む。
制服じゃない麗佳を見たのも、何年ぶりだろう。
卒業してから、何度もメールはやりとりしていた。
「会おう」とか口先ばっかりで、それから休みはお互い忙しかったりして、結局7月に入ってやっと会えた。
それにしても……
麗佳、すごいキレイになった。
前は純粋に「可愛い系」って感じだったのに。
この美しさには、制服はもう似合わない。
化粧も全然違和感がないし、肌なんかツルツルだし。
知らないうちに、本当にいい女になってる。
「何よ、じろじろ見て。テルのエッチ」
「いや…、麗佳、すっげキレイになったなって思って」
オレの言葉を聞いた麗佳の目が一瞬マジになる。
その後、目を反らした麗佳の指先の動きが落ち着かない。
………照れてる?
(か、可愛すぎ…)
オレまで照れてくるじゃんか。
「大学はどうさ?」
オレは話を振ってみた。
「あ、…あぁ、そう、そうなんだよね…」
「何なんだよ」
オレは笑ってしまった。
喋り出すと、麗佳は全然変わってない。
「あのさぁ…、サークルにさぁ、トモダチに連れられて、入っちゃったのね」
「うん」
生ビールが運ばれてきた。
ここのビールはピルスナーってやつで、いっつも野郎と飲んでるジョッキとは違う。
でも凄いうまそう。泡もタップリだし、ビールの色もいい。
「じゃ、おつかれ〜〜」
オレらはグラスを合わせた。
「別に疲れてないのにね」
麗佳は笑う。
「ホントだよな。だけど、何か言うよな」
オレはさっそくゴクゴク飲んでしまった。
「すっごい。男飲み!」
麗佳は感心してるっぽかった。
「男ですから」
オレはグラスを置くと、すぐに二杯目を注文した。
「その、男っぷりを見込んで、お願いしたいの…」
あ、お願い視線出してる。
女がお願いしてくるときって、何か独特だなっていつも思う。
だけど麗佳のお願いなら許す。
考えてみれば、オレはこいつに甘い。
「あのさ、サークルでしつこい人がいて…」
「うん」
まあ、麗佳ならどこに行ってももてるだろう。
「何度言ってもダメなの。なんかもしかしたらストーカーされるかもっていうぐらいヤバイの」
「はぁ」
「今度、そのサークルの飲み会があるんだけどね…」
超お願い視線だ。
オレはまたビールをガっと飲んだ。
酒の強さは普通だなんて言ったけど、実はオレは相当強い。
だけどそんな事言ったら、大体の女は警戒する。
「彼氏のふりしてくれ、なんて言うんじゃねーだろーな」
「う……」
麗佳が黙る。
「そうなのか?」
「飲み会が終わったとき、迎えに来てほしいの…」
困った顔でオレを見る。
そんな顔されたって、オレは麗佳の彼氏じゃないし。
自分でも認めたくないけど、オレは麗佳が好きだ。
だから、譲れない線ってのが余計にある。
『ニセ彼氏』なんて、そんなしんどい役回りはごめんだ。
「お前には、『先生』がいるだろう」
「だってさ…」
麗佳もグラスに手をかける。
ビールなんだから、ちびちび飲むなっての。
「なんだよ、先生と上手くいってないの?」
オレは半分願望を込めて言った。
「そ、そういうんじゃないけど、…と思うけど、」
「なんだその微妙な言い回し」
人の事はバシっと言うくせに、自分の事になると遠まわしな言い方になるところ、麗佳は昔と全然変わってない。
「だって、遠距離なんだもん。
静岡からそれだけのために、平日来て、なんて言えないよ…」
ちょっとしゅんとして麗佳は言う。
卒業の頃には長かった髪、今は肩ぐらいまで短くしてる。
オレとしては、今ぐらいの髪型の麗佳が好きだ。
ちょうど昔オレと付き合ってた頃と一緒ぐらいの長さ。
「だけど、ストーカーになりそうなぐらいヤバイんだろ、…それあいつに言ったらいいじゃん」
オレは言った。
麗佳があいつのものだってこと、自分自身も確認するように。
「だって、言えないんだもん。だから、テルにお願いしたいの」
子どもみたいな言い方しやがって。
麗佳の可愛いところを見つけるたびに、
あいつの前ではきっともっと可愛いんだろうなって沸々と嫉妬心が湧き上がってくる。
だけど困ってる麗佳は、何とかしてやりたい。
『トモダチ』って関係に、甘んじてやるか?
「他のヤツに頼めないのかよ」
オレは渋々言った。
麗佳は頷いた。
「こんなこと相談できるのって、テルしかいないんだもん。
他の人に頼んだら何かゴチャゴチャしちゃいそうじゃん」
麗佳はビールに口をつける。
ビールグラスになりたい…とか、一瞬自分でもバカだと思う考えがよぎる。
やっぱ、すっげーキスしたい。
本気でこいつは、オレに頼んだらゴチャゴチャしないと思ってるのか?
「テルってさー、すっごいカッコいいじゃん見た目、
…だからさー、テル見たら、多分あきらめると思うんだよね。そいつも。
そういう意味でも、絶対テルにお願いしたいんだよ〜。ねね、ね。ね?」
麗佳が目を輝かせて、オレにすがるように言う。
『先生』とは、遠距離なんだよな…。
あわよくば、麗佳を奪いたい。
……でもオレ1回振られてるんだったよな。
『付き合ったことがある』っていう事実が、麗佳とオレを近くして、オレから麗佳を遠ざけてる。
こうして、会って喋って顔を見られるだけでも、…とりあえず満足しとくか。
「しょうがねぇなぁ。特別だぞ」
麗佳が超笑顔になる。
「ありがとーテル♪やっぱテルだよー♪頼りになるよー♪」
よく言うよ。
でもまあ許してやる。
「奢ってくれるんだろ?飲むぞ!」
オレが笑いかけると、麗佳も笑顔を返してくる。
まあこんな関係でも、悪くはないかも知れない。
麗佳のお願いのその日、オレは新庄バリのサングラスをかけて、とってつけたようなキャラで迎えに行ってやった。
昼間も動き回ってるせいで、既に真夏みたいにオレは日焼けしていた。っていっても毎年そうなんだが。
麗佳に指示された店の入り口の廊下、オレは待っていた。
店の前で待つっていうのが、わざとらしい。
「麗佳」
オレは周りに聞こえるような声で、あいつの名前を呼んでやった。
パっとしない集団の中で、場違いなぐらいに麗佳が輝いてる。
麗佳はオレを見るとほっとして、ゆっくり近付いてくる。
オレって目立つんだろうな。と、さすがに今日ばかりは自覚した。
麗佳の視線の先、それを追うようにその集団の視線がオレに注がれる。
「じゃあ、お先です〜♪」
麗佳がそいつらに挨拶する。オレはわざらしく麗佳の腰に(ここぞとばかり)手を廻して、その場を離れた。
「ありがとう、テル!」
店の入っていたビルを出ると、麗佳がオレに言った。
「誰がストーカーだかわかんなかったぜ。みんな麗佳を見てた」
「なんか、注目されすぎちゃったかなぁ…。っていうか、テル派手すぎ」
麗佳がオレを見て爆笑する。
「なに、そのサングラス。札幌に行けって感じ!」
「やっぱ分かった?ちょっと意識してみた」
オレはサングラスを外して笑った。
「でも、似合うよ!そんなの似合う人ってそうそういないと思うんだけど」
麗佳がオレのサングラスを触る。
オレは麗佳の腰に手を廻したまま。
「なんでずっと、触ってんのよ」
麗佳がちょっとオレを睨む。
「い〜だろ、ちょっとぐらい。オレへのご褒美に、これぐらいさせろ」
「こんなんでご褒美に、なるの?」
笑いながら麗佳が言う。
「もっと違うことさせてくれんの?」
オレはかなりの期待を込めて言った。
「そんなワケ、ないでしょ!」
麗佳は半分マジで怒りながらオレの手を振り解いた。
「ごめん、うそうそ」
オレは言った。そのどさくさで、また手を廻そうとしたんだが。
「もう、ダメ!テル、軽すぎ!」
何だかんだ言いながら、オレは麗佳を家まで送ってやる。
今日は電車で来たから、普通に歩いて行く。
「この道、すっげー懐かしい」
「あぁ…、そうだね」
高1の夏、何度も麗佳の家までこの道を通った。
あれから3年後、こうしてまたここを歩くとは思わなかった。
「テル、今は都内で一人暮らししてるんでしょ?
わざわざこんなとこまで、ごめんね」
麗佳はホントに申し訳なさそうにしてる。
「いいよ。久しぶりに懐かしいし。
それより、お前この道こんな時間に一人で帰ったらダメだぞ」
「えぇ〜、大丈夫だよ。いっつも帰ってるよ。人通りあるし、ここ」
そういえばこの道は結構人通りがあって、オレは帰りにいつもキスの機会を逃していたことを思い出す。
「とにかく、ダメ!ストーカーされるぞ」
「だってしょうがないじゃん」
「ったく、田崎も使えねぇなぁ」
彼女一人、ちゃんと送り届けられないあいつが彼氏っていうのが、なんかムカつく。
「それこそ、しょうがないよ」
麗佳のその、『しょうがない』っていう言葉に色んな意味が含まれているような気がして、オレはちょっと凹む。
オレは話を反らしたくなる。
「弟、元気?」
「元気だよ。今年から高校に入った。うちのじゃないよ。私学の高校」
あの小学校出たばっかりの麗佳の弟が、もう高校生か。
ホントに時間の流れを感じる。
麗佳の家。
ここはあの頃と全然変わってない。
「テル……今日はホントにありがと」
「いいよ。ついでだから、また何か困ったことがあったら言え」
オレは麗佳から一歩後ずさる。
麗佳も玄関口へ近付く。オレらの距離が離れる。
「また改めて、飲みにいこ♪」
「うん…。でも今度は別に奢らなくていいからな」
「テルが奢ってくれるの?」
麗佳が笑う。
夜の中、白い夏の服を来た麗佳がますますキレイに見える。
「またメールするよ」
オレはそう言って、歩き出した。
またメールする―――
何度もそう言って別れて、この道を歩いたっけな。
懐かしい気持ちがこみ上げてくるのと同時に、この状況の変化にオレは正直切なかった。