夏はバイトしまくった。
先輩のツテで某レコード会社でパシリをした。
昼間は社内で雑用したり、スタジオや会社を荷物を持って往復したり、
イベントがあるときは販売要員として借り出されたりした。
たまに芸能人に会えるし、何となく業界風っていうのが嬉しくてほとんど毎日バイトを入れていた。
サンプルCDとか結構貰えるし、オレにはいい感じのバイトだった。
「久保くん、今日は担当がみんな出払っちゃうから、もう帰って」
「あぁ、…そうっすか」
バイトを取り仕切ってる女性社員に指示される。
急に夕方の早い時間からフリーになった。
(香里にでも連絡すっか…)
とりあえず、昼間チャリで近所の会社を往復させられて汗だくだった。
(一度戻るか)
オレは山手線沿いのマンションというかアパートで一人暮らししてる。
学校に行くにも、バイトに行くにも便利だった。
自分ちの最寄駅に着いて、暑いからオレは自販機で水を買う。
ボルビックがある自販機ってあんまりなくて、ここはオレの御用達だった。
「テル?」
なんかこう、オレの琴線に触れるような声がオレの名を呼ぶ。
振り返ると、麗佳がいた。
「え?なんで麗佳がここにいんの?」
麗佳はピンク色の上に、白い膝下までのパンツを履いてる。
相変わらずめっちゃ可愛い。
「テルこそ、何してんの?」
オレは自販機から買ったものを取り出すのを忘れそうになった。
慌てて手を伸ばしてボトルを取る。
「オレんち、こっからちょっと行ったとこなんだけど」
麗佳がビックリする。
「そうなの?えーーーー。すごい偶然!」
「麗佳はなんでこんなとこにいるんだよ」
オレは聞いた。
「あたし、この先のM製薬でバイトしてるんだ」
「えぇ!ってなんのバイト??」
「学校からの紹介なんだけど、雑用とか、実験補助とか」
「何か固そうな仕事だな」
「理系の特権♪すっごい時給いいんだ」
麗佳は嬉しそうに笑う。
「聞いていい?いくら?」
オレは素直に聞いた。
「2000円〜♪仕事はラクだよ〜♪」
「マジかよー。オレの倍じゃん!オレなんて超パシリなのに!」
こうして駅前で喋ってるだけで、どんどん汗かいてきた。
しかしいいなぁ麗佳は。オレはかなり羨ましくなる。
「バイト終ったのか?」
「うん。割と短時間なんだ。でも時給いいから結構稼げるの」
「いいよなぁ…。ところで、茶ーしない?暑くってさ」
せっかく麗佳に会えたんだから、これを逃さない手はない。
「いいよー。あたしもバイト終ってちょっと休憩したかったし」
オレらは歩いて商店街を少し入った茶店に行った。
「夏休み、どうしてんの?」
オレは麗佳に聞く。
冷房がよく効いていて、汗が一気に引いていく。
二人ともアイスコーヒーを頼んで、それもすぐに運ばれてくる。
「うーん。こうやって週に何日かバイトして〜…」
「あいつとは会ってんの?」
あんまり聞きたくないけど、やっぱり聞いてしまう。
「ぼちぼち…。向こうは夏休みじゃないし、
…もうすぐお盆だから、その間は何日か会えるかもだけど」
麗佳がストローをクルクルいじる。
「やっぱ向こうが来るの?」
全然想像もしたくないけど、やっぱり想像してしまう。
「うん。大体先生がこっち来るよ…。
だから余計に会う機会が少ないんだけど。土曜も病院はあるし」
「ってさ、どれぐらい会ってるのさ?」
オレは水を飲む。
「月に2回ぐらいかなぁ…。3回会えればいい方かなぁ」
「そんなもんなの?」
「うん…。テルみたいに週に何回も会えるのって、羨ましいよ」
麗佳がオレを見て恥ずかしそうに微笑む。
その笑顔にオレはグっときて、なんか切なくなってくる。
オレが田崎だったら、もっと会いに来てやるのに。
こんな女、絶対ほっとかない。
オレなら自分の手元において、いつも側にいてやるのに。
付き合ってたとき、そうすれば良かったって随分後悔した。
もちろん今でもそう思う。
ホント可愛いんだよ麗佳は。それもオレにとっては特別に。
オレらしくないと思うけど、麗佳をこうして目の前にすると
ちょっと…いやかなりドキドキしてくる。
「今日ってさ、麗佳これから何か用事ある?」
「ううん…。帰るだけだけど」
「じゃあさ、晩メシ一緒に食わない?
オレも今日急にバイトがなくなってさ、ヒマになって帰ってきたから」
「いいよ」
麗佳が自分の髪を触る。
洋服に合った薄いピンクのマニキュアが塗ってあって、
指先まで可愛くって超愛しくなる。
なんかもうオレヤバいって。
麗佳の仕草にいちいち気持ちが反応してしまう。
「1回帰っていい?オレさぁ、どうしてもシャワー浴びたいんだよね」
喫茶店を出て、オレらは立ち止まる。
麗佳がオレを見上げた。オレは話を続ける。
「帰り送るから、車でどっか食べに行こうぜ。
どうしよっかな…。オレんちで待ってて…っていうのはヤバい?」
麗佳がちょっと考えてる。
「…シャワー浴びるんでしょ?」
「うん」
「あたし、男の人の部屋なんて一人で入ったことないし」
「そうなの?」
ってことは田崎のトコにも行ったことないって事か?
オレはちょっと嬉しくなる。
「テルが裸で出てきて、襲われたら困るし、
…そこの本屋さんで待ってるよ」
麗佳が先にある書店を指差す。
オレは内心ガッカリしたけど、襲わないけど襲いたい気持ちがあるから麗佳の言うことに従う事にする。
「じゃぁさ、20分で戻るから、ちゃんと待っててな」
「うん。あたし本屋さん大好きだから大丈夫」
ニコっとして麗佳が手を振る。
「んじゃまた」
オレはダッシュで自分の部屋に戻った。
結局急いだせいで、オレはまた汗をかいてしまった。
「あぁ、テルいい匂いする」
麗佳が笑う。
「そっちに車停めてるから」
アパートに行く途中にある、駅から少し離れたとこにある駐車場に向かう。
「なんかテルらしい車」
「オレらしいってなんだよ」
黒いXトレイルなんて、まぁ女の子はまず選ばない。
「何だよ、運転してくれんの?」
右に回った麗佳にオレは言った。
「あぁあぁ…、ごめん間違えた」
麗佳は慌てて左に回る。
オレは田崎が外車に乗ってた事を思い出す。
あいつBMWだったよな。その時点で大きくオレが負けてる気がする。
おまけにオレは中古だし。
車に乗り込むと、オレはすぐにエアコンのスイッチを上げる。
車内はめちゃめちゃ暑かった。
「せっかくシャワー浴びてきたのに」
オレは言った。麗佳は笑った。
サクっと夕飯を途中のファミレス系パスタ屋で食べて、
オレは麗佳の家まで車を走らせる。
「不思議」
麗佳が言った。
「なにが」
「なんか…、こうして助手席に乗ってて、テルが運転してることが」
「ふぅん…」
オレもちょうどそう思ってたとこだ。
「テルと付き合いだしたとき、あたしまだ15歳だったよ」
「15って子どもだよな…もう19だもんな」
オレこそ、こうして麗佳が助手席に乗ってることがすごく不思議だ。
そしてもう今となっては麗佳と付き合ってたこともピンとこない。
ただオレの中に、確かに一つの感情だけが残ってる。
芽を出す事がなくて、根ばっかり張るタネを麗佳はオレの中に置いていった。
それだけが、オレの実感できることだ。
「麗佳って、いつあそこでバイトしてんの?」
別れ際、オレは聞いた。
「大体、火、木、金かなぁ…。9月になったら夕方からだけど」
「そんじゃさ、また時間合いそうなとき晩メシ食おうぜ」
「うん……いいけど」
薄暗い車内の中で、麗佳の横顔がいつもより大人に見える。
そんな彼女も色っぽくて好きだ。
結局どんな麗佳でも、オレは好きなんだと思う。
「オレ不定期でバイトしてるから、都合合いそうだったらメールするわ」
「うん。そうして」
麗佳がオレの方を向く。
こうして二人きりで目が合うだけで、普通にエッチする以上に心臓がバクバクしてくる。
「それじゃ、送ってくれてありがとね」
麗佳がドアに手をかける。
「んじゃ、またな」
オレは言った。
「うん、またね…。気をつけて帰ってね」
ドアが閉まる。
オレは車を出す。
携帯の光が視野に入る。
香里からメールだ。
香里と付き合ってるのに、オレの全身が麗佳に反応してしまう。
麗佳の顔が見たい。会いたいと思う。
だけど「会える」せいで、オレの心はどんどん麗佳に向いてしまう。
どうにもならないのが分かっているのに。
自分の部屋に帰って香里に電話する。
とりあえず、明日は香里と会おう。
ただ今は、香里を抱きたいと思った。