「今日、駅前の中華屋さんに行きたい」
「え!オレ、今週3回も行ってるから、そこはちょっと…」
本当は火曜日に麗佳と1回行ったっきりだった。
「しょうがないなぁ。あそこの唐揚げ美味しいのに…
じゃぁ、他に『こってり』って言うと〜」
香里には悪いけど、同じ週に違う女を連れて同じ店に行くほどオレは肝が据わってなかった。
結局車でちょっと行ったとこにある、中華ソバが美味しい店に二人で行った。
「香里……」
やることが終って、シャワーを浴びて、オレ達は部屋でまったりしてた。
香里の髪を触りながら、オレはもう眠ってしまいそうだった。
今日は午前中から学校に行って、帰りもちょっとバイト先に寄ってパシりさせられたからもうクタクタだった。
「お前、今日泊まってける…?」
オレはもう送る体力がなかった。
「いいよ。…じゃあもう寝ようか」
「おやすみ…」
オレは香里を抱き寄せると、全身で眠りへ落ちてく。
「テル、…テル」
「何?」
眠りかけで、オレはめっちゃ不機嫌だったと思う。
「なんかずーっと電話鳴ってるんだけど。何回も」
「ぁんだよ…」
オレは起き上がって、暗い部屋の中で点滅してる携帯を手に取る。
麗佳からの電話だった。
オレは慌てて携帯を開く。
「何?」
麗佳だったけど、オレの機嫌の悪さは抑えられなかった。
『あぁ、…テル…良かった…』
「どした?」
受話器の向こうから、緊張した麗佳の声が聞こえる。
『あのさ、今、…テルのとこの、駅なの…』
「えぇ!ってお前今何時だよ?」
オレは部屋の時計を見た。
もう12時過ぎてる。
普通だったら泊めてやってもいいけど、今日は香里も来てるし…
ってことを考えてちょっと焦った。
『なんか、帰りの電車で痴漢にあっちゃって…怖くて降りたの
…でもさ…電車、もう間に合わないし…
駅も、なんかさっきからヘンな酔っ払いがずーっとこっち見てるし…
わ、…悪いとはホントに思うんだけど…来て…』
麗佳の声が切羽詰ってる。
オレが電話出なかったらどうするつもりだったんだよ。
「とりあえず、駅まで行ってやる。すぐに行くから。じゃあな」
オレは電話を切った。
「誰よー…こんな時間に…」
香里が怪訝そうにオレを見る。
オレはもうTシャツを替えて、Gパンを手にしてた。
「ちょっと友達送ってくるから、…香里、先寝てて。2時には帰るから」
携帯とサイフと、車のカギを持ってオレは急いで部屋を出た。
タクシーが大量に停まってる間を抜けて、オレはロータリーに入ってく。
ヘンな学生みたいなヤツに絡まれてる女がいた。
麗佳だ。
オレは適当に車を停めて麗佳の方へ走る。
「おい!」
オレは思いっきりその知らない男を睨んだ。
男はオレを見ると、ブツブツ言いながらそれでもすぐに去った。
完全に酔っ払っいだ。
「麗佳!」
オレは何だかムカついてた。
引き寄せると、麗佳は泣きそうな顔してた。
「ありがと〜〜〜〜〜。テル〜〜〜〜〜」
麗佳がオレの手をギュっと握る。
「コワかった〜〜〜〜。色々と…」
そんな顔を見ると、こんな時間に呼び出されても許してしまう。
オレはそのまま麗佳の手を引いて、車の方へ歩きだした。
ちょっと指先が震えてる。
ホントに怖かったんだな。
「とりあえず、乗れ」
オレは麗佳を助手席に乗せると、車を出した。
「ごめんね…でも、…ありがと…ホント…テルがいて良かった…」
「あのなあ…」
麗佳の家に向かってオレは車を走らせた。
夜中の道路は昼間の渋滞がウソみたいに空いている。
「こんな遅くまで、何してたんだよ」
オレの声は怒ってたと思う。
「飲んでた…」
「早く帰れって、いっつも言ってるだろ」
「帰ろうと思ってたんだけど、…気がついたらこんな時間で」
「……」
「途中で友達と別れて…、そしたら、…電車でヘンなオヤジがいて」
「………そんな時間ならヘンなオヤジなんて山盛りいるだろ」
ちょっとムカついてきて、スピードを上げてしまいそうになる。
オレは自分を抑えた。
「なんか、体とか触られて……回りの人は見て見ぬ振りだし…」
麗佳の声が泣きそうになる。
麗佳が電車で痴漢されてる図を想像したら、その痴漢に対して凄く怒りが込み上げてきた。オレは普段すげー麗佳を大事にしてるってのに。
「怖くなって降りたら…、電車乗って帰るのが怖くなってきちゃって…
どうしようって思ったんだけど…頼れる人テルしか浮かばなくて…」
「……」
そういう風に言って、オレを頼ってくる麗佳は正直可愛い。
「別に、オレを呼び出すのはいいけどさ…
オレが電話とか気がつかなかったらどうするつもりだったワケ?
駅でも絡まれてたじゃんか。お前、無防備すぎだぜ」
「ごめんなさい……」
「もう、絶対ちゃんと最悪でも11時には家に着くようにしろ」
「うん…」
オレは麗佳の親かよ。
麗佳を見る。
今日会って、初めてまともに見たかもしれない。
麗佳もオレを見る。
子どもみたいに不安気な瞳のくせに、唇とか睫毛とか、
まるで誘ってるみたいに女のオーラを出しまくってる。
………そんな姿は鳥肌が立つぐらいオレを興奮させた。
(そりゃ、痴漢にも会うって)
「麗佳…」
「……」
「約束しろよ。一人でこんな時間までウロウロすんな」
「はい…」
しおらしい麗佳の姿、ただでさえ愛しくて仕方がないのにますますオレの気持ちを揺さぶる。
「そんでも困った時は、オレに言ってくれればいいから」
「……うん…ごめん…」
普通は彼氏に言うんだろう。
だけど田崎はすぐに飛んで来れる距離じゃない。
色々な考えが頭を回る。
それと麗佳を見て体も欲情してきて、オレは唇がカサカサしてくる。
「ちょっと、なんか飲むもの買っていい?」
オレは目に付いたコンビニで車を停めた。
「あたしも行く……」
麗佳も車を降りる。
麗佳の立ち姿はなんだかいじらしくって、強く説教ばっかりしてて悪かったかなと思う。
「怖かったんだろ…?」
「うん……」
「…………」
オレは掛ける言葉が見つからなくて、麗佳の手を取った。
そのまま手を繋いで、コンビニで小さいペットボトルのお茶を二つ買う。
麗佳は黙ったまま、オレの手を握ってる。
付き合ってた頃だって、オレたちはあんまり手を繋いだりしなかった。
このまま、どこかへ連れて行ってしまいたい……
自分自身から来る、強烈な欲求とオレは闘った。
家には香里を待たせてる。
今日、香里がいてくれて良かったとオレは思う。
冷たい深夜の独特の空気が、オレの欲求の追い風になる。
抱きしめたい――――
この手を引き寄せて、華奢な麗佳の体を…
ただ、抱きしめるだけでよかった。
衝動が手からつま先まで巡って、自分の全身から鼓動が聞こえる。
車の前まで行くと、オレは麗佳の手を離した。
せっかく夜に麗佳と二人きりだというのに、渋滞のない道路はオレたちの時間をどんどん進めていく。
麗佳が沈黙を破る。
「ホントにごめん……」
「もういいよ…オレこそ強く言って悪かったな」
今気がついたけど、ラジオすらつけてなかった。
「……もう寝てた?」
「…寝かけてた」
本当だ。
「ごめん…テルに頼ってばっかで…テルだって彼女いるのに」
いなかったらいいのかよってオレは思いながら、答えた。
「香里が電話に気付いて良かったよ…」
「え……」
麗佳が言葉に詰まる。
オレは事実をそのまま言った。
「香里は今オレんちいるから」
麗佳の気配が止まる。
「え…そうなんだ…。じゃ、邪魔しちゃったってこと?」
「いや…。もう寝かけてたから」
「そっか……。うわー…あたし……」
麗佳が自分の顔を両手で覆う。
「ごめぇん……。テル……」
「……麗佳…」
「ほんっと…ごめ…」
麗佳は泣き出してしまった。
「いいよ…、気にすんなって……」
オレはそう言ったけど、麗佳は余計に泣いてしまう。
横で麗佳が泣いてる。
オレは抱きしめたくて、キスしたくて、
オレが好きなのは本当はお前だって言いたくて、
……ハンドルを持つ手が一瞬震えた。
「泣くなよ…」
オレは左手を伸ばした。
せめてもと、麗佳の手を握った。
ほんの少しの動きだったけど、麗佳はオレの手を握り返した。
このまま、ずっと……
麗佳が田崎のこと、めちゃくちゃ好きなのは知ってる。
よく分かってる。実感として感じる。
だけど今、麗佳の手を握っているのはオレで、
今、麗佳の隣にいるのはオレで―――
時間が止まればいいのに、ってマジで思った。
それか、世界中から人がいなくなるとか……
二人だけの世界だったなら、オレたちは普通に自然に上手くやっていける。
だけど、そんな夢みたいな事あるわけがなかった。
今繋いでる手のぬくもりもそんな夢と同じぐらい、現実なのに非現実的だった。
麗佳を家の前で下ろすと、オレは香里の待つ自分の部屋に帰った。