ビター(夢色続編)

麗佳編 ★★ 10 ★★

   

あたしは山手線沿線の企業でバイトしてた。
勿論、企業には学生みたいに長い夏休みなんてなくて、あたしは日中も結構アルバイトを入れていた。
先生とも平日は会えないし。
彰士が『教師』のままだったら、夏とか冬とかもっと一緒にいられたのかな。
実家に帰っていなかったら、普段ももっと会えたのかな…。
なんて、どうにもならない事を考えてみる。

去年の今頃、まさか自分がこんなになってるなんて想像もしてなかったなって今更思ってみたりする。
「先生」が「教師」でなくなっていて、…あたしにとっての「先生」も今では「彼氏」になってる…一応…。


バイトは楽だった。
社員の雑用を一気に任される感じだったけど、それも知れてた。
仕事で学生に望むこと、なんてあんまりないのかも知れない。
派手な格好で行くと浮くから、あたしはバイトにはごく普通の服装で行った。
駅までの道、大した距離じゃないのにあまりに暑くて汗だくになってしまう。
化粧落ちそうだし…ヤだなって思いながら、駅に近付くとほっとする。
(あれ、…テルじゃん)
駅に入ってすぐの自販機。あの後姿は多分テルだ。
なんでこんなとこにいるんだろう。

「テル?」
あたしは思わず近付いて、声をかけてしまう。
振り返ったテルは、すっごいビックリしてた。
「え?なんで麗佳がここにいんの?」
その台詞、そっくりテルに返したい。
「テルこそ、何してんの?」
あたしはつい自分が答える前にテルに言ってしまった。
「オレんち、こっからちょっと行ったとこなんだけど」
「そうなの?えーーーー。すごい偶然!」
テルが一人暮らししてる場所って、こんな便利なトコだったんだ。
じゃあ、気がつかないだけですれ違ったりしてたかも知れない。
あたしも汗かいてたけど、テルはもっと汗かいてた。
現場の人みたいに、タオルを首に当ててる。
だけどそんな風にしててもテルの場合はキマってるのが凄い。

「麗佳はなんでこんなとこにいるんだよ」

成り行きでテルとお茶することになる。
あたしも喉が渇いてたし、何しろ暑くて休憩したくてしょうがなかった。
テルに会えたのはちょうど良かった。
「こんな近くに住んでたんだね」
あたしは一息ついてテルに言った。
「オレこそビックリだよ。…いつから?」
いつもよりぺしゃんこな髪をしたテルも、それはそれで良かった。
結局何をしてもよく見えちゃうんだよね。
得だなぁって思いながらテルを見た。
「入学して、結構すぐだよ。夕方だけだけど。
今は夏休みだから、昼間も行ってるんだ」
「へー。。全然会わなかったな。…気がついてなかっただけだったりして」
「そうかもね。マジで」
あたしはアイスコーヒーを一口飲んだ。
「テルは、バイトって何してんの?」
「オレは主にレコード会社で雑用」
「ふぅん……。ねぇ、テル、声かけられないの?デビューしない?とか」
「…アイドル事務所じゃねぇんだから。先輩の紹介で行ってるし」
テルが苦笑しながら答えた。
ホントにスカウトとかされてもおかしくないぐらいなのになって思う。

そのままテルにゴハンに誘われる。
あたしは時間があったし、何だか突然テルに会えて嬉しかったから一緒に行くことにした。
「1回帰っていい?オレさぁ、どうしてもシャワー浴びたいんだよね」
テルが言った。喫茶店の前であたしたちは立ち止まる。
「帰り送るから、車でどっか食べに行こうぜ。
どうしよっかな…。オレんちで待ってて…っていうのはヤバい?」
車かぁ…もう大人なんだなぁって思う。
で、テルんち?…それは、まずいでしょう?
何もないにしても、なんか気まずいよ。
「…シャワー浴びるんでしょ?」
あたしはちょっと警戒してたと思う。
「うん」
「あたし、男の人の部屋なんて一人で入ったことないし」
先生のとこにも行った事ないし。
「そうなの?」
テルが何だか嬉しそうに答えた。
「テルが裸で出てきて襲われたら困るし、…そこの本屋さんで待ってるよ」
あたしは笑って言った。目の前にちょっと大きな書店があった。

テルを待っている間、先生の地元が載ってる旅行誌を見た。
行ってみたいなぁって思う。
だけど彰士は「悪いから」って言って、いつもこっちへ来てくれてた。
付き合ってるけど、未だにあたしには彼の事は謎だ。
謎っていうか、…あたしが知らないだけなんだろうけど。
『恋人同士』って、何もかも知っているものなんだろうか。
知らない部分が沢山あってもそれでも『恋人』って言えるんだろうか。
(まあ、人それぞれだよね……)
先生を知らないまま、誰かと今付き合っていたとしたら、
きっとあたしはあんまり自分に踏み込んで欲しくないタイプだと思う。
だから彰士が自分のテリトリーにあたしを入れたがらない気持ちも分かる。
入れたがらないっていうのはあたしがそう感じているだけで。
実際あたしから近付こうとしたワケじゃなかったし、勿論拒否されたことがあるわけじゃなかった。
(自然に近づければいいのに…)
こんな風に色々考えないで、気が付いたら近くにいられるような、そんな関係になりたいと思った。
どうしたらいいかとか、そんなんじゃんくて。

色々考えてたらテルからメールがきた。
あたしは書店を出た。

テルの車は、彼らしい車だった。黒くて、『男』って感じの車。
「何だよ、運転してくれんの?」
鍵を持ったテルがそう言った。
あたしは無意識に右側に回っていた。彰士の車が左ハンドルだからだ。
「あぁあぁ…、ごめん間違えた」
何だか恥ずかしくなる。
あたしは慌てて左側に回る。
ドアを開けた車内は、もの凄く暑かった。
「せっかくシャワー浴びてきたのに」
「ホントだね」
あたしまでどっと汗をかいてしまう。
テルが冷房を最強にする。
先生の車とは違う匂いがする。
シャワーを浴びたばかりのテルは、運転席に座っていてもいい匂いがしてた。
(こんな匂いがするんだ…)
テルが何だかいつもより生々しい感じがした。
当たり前だけど、女の子じゃないんだなって実感する。

パスタを食べながら、あたしはテルに言った。
「テルは夏休み、どうしてるの?」
「とにかくバイトばっか。夏とか冬とかって、結構イベントが多くてさ。
超使いッパシリだぜ。…でも楽しいからいいか、みたいな」
「ふーん。ねぇ、チケットとか取れる?」
「早く言ってもらえば、多分何とかなる」
大盛りのパスタをテルはやっぱりすごい速さで食べてる。
「ねぇ…夏休みってやっぱデートとかいっぱいする?」
何だか詮索するみたいな質問だなって、言って後で思った。
「デート…っつぅか、…デート?…デートはあんまりしないな」
そこでテルがちょっと笑う。
「大体メシ食ったり、オレんち来たりとかって感じで」
「ふーん」
『デート』って言っちゃった自分が恥ずかしくなってくる。
何か言い返したくなってきて、あたしはテルに言った。
「あたしと付き合ってたとき、結構デートっぽくなかった?」
「……」
テルはちょっと驚いた顔をして、優しい顔になった。
「そういえば、そうかもな…。若かったな」
(まだ若いじゃんよ…)
先生と付き合ってるあたしは、今のテルだって充分若いのにって思った。
顔を背けたテルが、何だか切なそうに見えたのはあたしの気のせいだったんだろうか。

テルの車がうちの前に止まる。
彰士はいつも離れたとこに止めるから、車で家の前まで送ってもらうっていうのが新鮮な感じがした。
もう日は落ちていて、家の前の外灯が点いてた。
「麗佳って、いつあそこでバイトしてんの?」
「大体、火、木、金かなぁ…。9月になったら夕方からだけど」
「そんじゃさ、また時間合いそうなとき晩メシ食おうぜ」
「うん……いいけど」
あたしは自分のカバンを引き寄せた。
それにしてもテルんちのあんなに近くでバイトしてたなんて。改めて思う。
「オレ不定期でバイトしてるから、都合合いそうだったらメールするわ」
「うん。そうして」
何だか友達っぽくっていいなぁって思いながらテルを見た。
それでも目が合ったテルはもう充分男っぽくって、高校のときには感じられなかった色っぽさがあった。
あたしはちょっとドキドキしてしまう。
「それじゃ、送ってくれてありがとね」
車内の空気が甘く変わりそうな気がして、あたしは慌ててドアを開けた。
「んじゃ、またな」
テルが言った。
「うん、またね…。気をつけて帰ってね」

テルの車が行ってしまった。
(それにしても、カッコいいよなぁ…テル……)
最近は会う度に感心してしまう。
態度がすごく大人っぽくなったし。
それに運転する姿も慣れた感じだった。
ちょっと前まで、車の運転って大人の象徴って思ってたのに。
あたしたちはどんどん変わっていてるんだなぁって感じる。

あたしも大人になってるんだろうか。
そして、先生に近付いてるんだろうか。
自然に近づけるんだろうか。
そうなればいいと思う。
とりあえず、ムリしないで……穏やかに彼を想いたいと、今日は思った。

 

ラブで抱きしめよう
著作権は柚子熊にあります。全ての無断転載を固く禁じます。
Copyrightc 2005-2017YUZUKUMA all rights reserved.
アクセスカウンター