もううんざりするぐらい暑い日々が続いた。
高校1年の時はよく海に行ったけど、その後は受験とかもあって去年は全然夏らしい事をしなかった。
「夏だな」って思えることに、何だか余裕を感じてしまう。
去年は受験生だったんだよね…。
今思い返してみると、よくあれだけ頑張れたな…。
もう1回あれをやれって言われたら、多分できない。
あの頃は先生のことでいつもモヤモヤしてて、勉強でもしてないと気が紛れないっていうのも正直なとこだった。
だけど今だって、そのモヤモヤが完全に晴れてるワケじゃなかった。
それでも彼に会える日は本当に嬉しくて、そして一緒に過ごす時間は切ないけど楽しかった。
先生が側にいてくれること、今でも全然慣れない。
だけどメールをすれば返事をしてくれるし、電話をすれば声も聞ける。
これだけの事が嬉しいなんて、…まだまだ「恋人」っていう感じじゃないなぁって思う。
夏休みになって8月に入って、今日は彼と約束をしていた。
やっぱり社会人の彰士は忙しくて、なかなかまとまった時間を取って会うのは難しかった。
「あたし、今日生理に当たっちゃった」
エッチばっかりだと物足りないけど、やっぱり久しぶりに会うからできないのは残念だった。
「じゃあ、今日は麗佳の体調に合わせてゆっくりしようか」
それでも彰士はガツガツしない。
残念そうな素振りもなかった。
大人だなぁって思う。
「暑いし…どうしよう?」
あたしは何も考えてなかった。
先生も電車で来てるから、ドライブってわけにはいかない。
「映画でも行く?」
「うん」
彰士と映画なんて、全く想像してなかった。
せっかくの時間が勿体ないから、2時間ただ黙って座ってるのもなぁって思ってたから。
だけどデートっぽいから、あたしはその案に賛成した。
「オレ、全然ラブストーリーものって興味ないよ」
とりあえずチケット売り場の前まで来て、彰士は笑った。
「じゃあ、これにする?」
今、流行ってるアクション系の映画を指してあたしは言った。
「それにしよう」
彰士もすぐに頷いてくれた。
こんな風に行き当たりばったりで映画館に来るのなんて初めて。
映画が始まると、彰士の手があたしの手に伸びた。
(あ……嬉しい…)
こういう何気ないことが、すごく嬉しいんだよね…。
長いと思ってたのに、あたしは映画の間中ドキドキしてた。
手が触れるだけでも、こんなになっちゃうなんて。
エッチすると自分を見失うっていうの、…なんか納得できた。
食事をして、彼は帰って行く。
毎度ながらあたしは切なくって、体の力がガックリと抜けていくみたいな状態になる。
気が抜けて、生理痛を急に感じる。
あたしも自分の家へと向かう電車に乗る。
車内で携帯を見ると、有希からメールが入ってた。
『あしたヒマ〜〜?買い物付き合ってもらえないかなぁ。』
あたしの夏の平日は週に何日かバイトを入れてたけど、月曜は予定がなかった。
あたしは有希にメールを返した。
本当は彰士からももっとメールとか電話とか、欲しかった。
そしてもっと会いたい。もっともっと会いたかった。
だけど彼の事情を考えると、あたしはそんな事言えなかった。
会えば、愛されてるのを感じる。
だけど会えないとき、もっともっと近い気持ちでいられたなら、
きっとあたしはもっと楽になれると思う。
『会えるだけで幸せ』って、思おうとしてるのかもしれない。
今、「彼女」って状態になって、…あたしはもっともっと彰士に我がまま言ったりしてみたいなって思い始めていた。
「遠距離って絶対ダメだけどさ、
彼氏がいるだけでもいいかなって最近思ってきたよ」
有希が言った。
夏物が最終バーゲンになってて、二人で結構買い物してしまった。
あたしは生理だったせいもあって、ぐったり。
適当なカフェに入って休憩してたけど、店はどんどん混雑してきた。
「バイトぐらいしかする事がないもん」
有希がふてくされて言った。
あたしは笑ってしまった。
「いいじゃん、今のうちにお金貯めときなよ」
「…そうするよ…。あぁ、そうだ、麗佳!
この前の彼、すっごいカッコよかったじゃん!
あの後、すーっごいウワサになってたんだよ〜〜」
有希は急に身を乗り出してきた。
「確かにカッコは、いいよねぇ…。…マジでウワサになってた?」
なるだろうなとは思ってたけど。
まあ、それぐらいになってもらった方が気も楽になりそうでいいけど。
「麗佳ってカッコいい友達いるんだねぇ!ちょっと、ちょっと!
是非その彼の友達を紹介してよ〜〜!」
「あ……あぁ…う、うん」
あたしは煮え切らない返事をしてしまった。
テルのことを思い出した。
そういえばあれっきり1回メールしただけで、ほったらかしにしてた。
「麗佳の彼氏のこと知らないけど、あの子もすごく彼氏っぽく見えたよ」
有希が言った。
「だって、昔付き合ってたことあるんだもん」
あたしはホントのことを言った。
「えーえー、じゃあ、元カレ??」
女の子って人のこと、すっごく気になるんだなぁっていつも思う。
いっつもはこういうの苦手…だけど有希は許すけど。
「うん。……って言っても、あいつにとっては何代前よ?って感じだけど」
「モテそうな人だったもんねぇ…」
その日の帰り、忘れないうちにあたしはテルにメールした。
『この前のお礼も兼ねて、今週とかヒマな日ある?』
しばらくしたら、テルからメールが返ってくる。
相変わらずレスポンスが早いなぁ。
先生もこれぐらいしてくれればいいのにな、ってあたしは苦笑してしまう。
その次の日、サークルの有志の飲み会に参加した。
「梶野ー!この前の男、誰だよ?」
男の先輩があたしに聞いてくる。
「迎えに来るなんて、彼氏に決まってるっしょー?」
女の先輩が代わりに答えてくれる。
「でもカッコいい子だったねぇー。麗佳ちゃんにお似合いって感じだったけど」
同期の女友達もそれを受けて言う。
「はぁ……。そうかなぁ…?」
その後色々と質問責めされた。
女の子たちはテルのカッコ良さについて真剣に語ってた。
その都度、あたしに話が振られる。
あたしはめんどくさくなって、テルは高校からの彼氏って事にしといた。
その時聞いたけど、二次会で鹿島が荒れてたらしい。コワー。
ウワサによると、もうあたしの事は諦めるらしい…。
あたしは心底ほっとした。
本当は別に悪い子じゃないんだよね。普通にしてくれてれば。
テルにしっかりお礼しないとなぁって思った。
テルと会って、あたしが予約してたお店に入った。
「テルって、一人暮らしの割にちゃんとした格好してるよね」
Tシャツがヨレヨレになってないから、あたしは思わず言ってしまった。
「一応気をつけてるから」
偉そうにテルが言った。
「この前は、ありがとう」
テルが店員を呼び止めて、大量の注文をする。
思わず不安になるぐらいの量に、あたしは笑ってしまった。
「あたしの彼氏は、怖い人って言われてるよ」
テルにその後の状況を話した。
しばらくして、テルに言われた。
「ホントの彼氏は先生で、今でも歯医者の『先生』だろ」
棘のある言い方だなって思う。
彼氏の代わりをする事、すっごいイヤがってたもんなぁ。
何かテルにやっぱり迷惑かけたなって思う。
本当はさ、先生に来てもらうのが一番良かったと思うよ?
だけど……そんなお願いできないし…。
「まぁ…そうなんだけど」
先生は、『彼氏』なんだけどね…。
あたしは自分の事ながら、なんだかちょっと凹んでしまった。
「なんだよその意味アリな言い方?」
テルにさっそく突っ込まれた。
『顔に出る』って結構色んな人に言われるの、気にしてるんだけど。
「ううーん、上手くいってないワケじゃないんだよ」
あたしは笑って言った。
「じゃあなんだよ」
テルがビールをぐっと飲む。ホントにお酒が強いなぁって思う。
「付き合ってるとさ、
…片想いみたいなときは何とも思ってなかったような欲求が出てくるよね」
「どういうこと?」
「だからさー、ああして欲しいこうして欲しいみたいな」
なんだか素直に思ってることが出てきてしまう。
「あぁ」
テルは普通の顔で頷く。
「ただ好きって思ってるときは、会えるだけでもよかったのに」
何だか、溜まってるのかも知れない。あたし。
彼に言いたくて言えないことが。
「まあそういうのって、あるよな」
テルは持ってた箸を割った。そしてあたしを見る。
「なんかあいつに不満でもあんの?」
…不満…?
先生に、不満?
今まで、考えたこともなかった。
テルになんて言おうと思ってたら、料理が次々に運ばれてきた。
あたしはこの話題を避けられそうで、ちょっとほっとした。
「ちょっとぉ、テル、一気に来たよ」
それにしても、すごい量…。ホントにこんなに食べるの?
テルを見て、あたしは笑ってしまった。
今夜も送ってくれるって言ってくれて、あたしは断りつつもやっぱりテルに送ってもらう事になる。
夜の電車はお酒臭いし、やっぱり一人よりも誰かと一緒の方が心強いのは確かだった。
「ねぇ、…今日、…お礼になったのかな?」
あたしはテルに感謝してたし、
それなのに何だか全然それが伝わってないような気がしてた。
「いいって、お礼とか深く考えんなって。
オレは麗佳と飲めただけで、スゲー嬉しいし」
スラスラとそんな台詞が出てくるテルに対して、何だかあたしの方が照れてしまう。
あたしにとってのテルは、元彼だったけど…
あたしの気持ちは付き合ってた時とあんまり変わってなかった。
当時からテルのこと、友達みたいに思ったまま、…何となく付き合ってたから。
だからテルがこんな風に大人の男に近付いていくのを感じると、複雑な気分になる。
テルだって彼女いるんだよね。
彼女に怒られないかな…。
「なんか、テルって優しいよね」
「は?」
テルがこっちを向く。
あたしはテルがいつでも優しくしてくれてる事に対して、甘えてる気がした。
「だから何だか余計ごめん」
あたしは何だかテルが直視できなくて、前を向いてしまう。
「なんで?男ってこんなもんだろ」
テルが軽く言い流す。
窓に映った彼は、やっぱり満員電車の中でも目立ってた。
(男、か……)
きっと誰にでも優しいんだろな、テルは。
彰士はどうかな。
どうも彰士に対しては教師時代の無愛想なイメージがあって、女の人に優しくしてる姿が想像できなかった。
だけど優しい彼を、あたしは知っている。
自分の部屋に入る。カバンから携帯を出した。
昼間のうちに彰士に、今日は飲みに行くからってメールしてた。
あたしは携帯を開いた。
特にメールは来てなかった。
先生から連絡があればすっごく嬉しいのに、何もないと嬉しいのと同じぐらいガッカリする。
彰士からメールや電話が来ない日は、最近では妙に落ち込んでしまう。
恋人同士なら、普通は毎日連絡を取り合うものなのかも知れないって思うからかな。
だけどやっぱりあたしはそれを彼に伝えることができない。
先生は社会人で、あたしの知らない毎日を過ごしてる。
あたしは学生で、ハッキリ言ってかなり気楽な日々だ。
そんな状況で…忙しそうな彼に対して、一歩踏み出す勇気はなかった。
今日、テルが言ってた。
週に2回は彼女に会うって。
(いいなぁ…そういうの…)
彰士とそんなことができたらホントに夢のようだなって思いながら、
あたしは早く彼から連絡がなかった今日を終わらせたくて、すぐにベッドに入った。