『なんだか、ちょっと元気ない?』
今日の先生の声もあたしにはやっぱり愛しく感じる。
「ううん、元気だけど……。ちょっとカゼ気味かも」
『気をつけてな。オレ、医者じゃないから何とも言えないけど』
彰士がちょっと笑う。
あたしもおかしくて笑ってしまった。
「ちょっとボーっとしてるだけ。具合が悪いわけじゃないし」
『急に寒いし、あったかくしてゆっくりな』
「うん。…ありがと」
先生のこと、好きだなぁって思う。
顔を見れば、そして声を聞けば、やっぱりあたしの心はギュンってなる。
(テル……)
だけどあの夜のこと…。
ううん、今だって…テルはもしかしたら今頃彼女と仲良くしてるのかも知れないって想像するだけで、
それ以上に胸がギューって…。
(男の友だちに、彼女がいて…嫉妬してるだけかも…)
そう思おうとしてた。
あたしのテルへの気持ちは、育っていい事がある訳がなかった。
あたしは彰士のことがすごく好きだし、
多分テルだって彼女のことが好きな筈だ。
とりあえずはテルのこと、できるだけ考えないようにしようって、
…あたしは思った。
「ねえ、もう先に来てるかなぁ」
有希が緊張してる。今日の彼女は可愛らしい感じでまとまってた。
あたしは気合入れてもしょうがないから、普段はあんまり履かないGパンを履いて来た。
「あ、『小笠原』で4人で予約してるんですけど…」
店員と話してるうちに、向こうにテルの姿を見つけた。
(………)
それだけで、あたしはドキドキしてくる。
もしかしたら横にいる有希より緊張してるかも。
「色々とさんきうー、麗佳ちゃん」
「いいえいいえ」
あたしは小笠原くんに挨拶した。
テルと目が合う。
「えーっと、小笠原くん、…この子は有希。あたしの大学の同級生」
あたしはとりあえずの笑顔で小笠原くんを見た。
「よろしくー♪あ、雄吾でいいから」
「西沢有希です。はじめまして」
小笠原くんがニッコリしてる。有希もなんだかすごく笑顔。
いきなりいい感じかもって思って、あたしまでちょっと嬉しくなってくる。
「……(このまえはごめん)」
あたしは小さい声でテルに言った。
「それはもういいよ、…って待ったぜ!注文しよ!」
テルはすぐにテンションを上げてその場を仕切りはじめた。
有希が彼氏に振られてから、カラ元気にしてたのは分かってた。
だからホントに小笠原くんとうまくいってくれればいいなぁって思った。
テルのこともすごく気になってたけど、彼はいつもどおりな感じで明るかった。
気にしてるのが自分だけって気がして、…あたしもその場ではあの時のことを思い出すのは止めた。
その場は和やかに盛り上ったと思う。
小笠原くんもテルも話しが上手くて、あたしたちは楽しかった。
「ちょっとトイレ行くー」
有希が席を立つ。
そんな後姿を見送ったあと、小笠原くんがあたしに言った。
「麗佳ちゃん、いい子紹介してくれたよー。
さすがテルの友だち!で、麗佳ちゃんの友だち!って感じ」
「すっごいいい子なんだから、遊んだりしないでよ」
あたしは笑って小笠原くんに言った。
「任してよ。オレもトーイレ」
小笠原くんも席を立った。
テルと2人きりになってしまう。
「なあ、有希ちゃんって…予想以上に良い子だったよ」
テルがすぐにあたしに言った。
「ホント?」
そう言われると、あたしも嬉しくなる。
「何か、上手くいきそうじゃねー?」
「そうだといいなぁ…うん。
ねえ、…小笠原くんっていい人でしょうね?」
「何だよ今更」
下を向いたままテルが笑う。そこからあたしの方を見た。
その目つき。
(…あ……)
やばい、ドキドキしてくる。
気になりだすと、どうして今まで意識してなかったんだろうってぐらい、テルは充分にいい男だった。
「あのさ…」
テルとあたしが同時に口を開きかけたとき、二人が戻ってきた。
「じゃー、そろそろお開きにしよっか」
小笠原くんが座ったなり言った。
「マジ?もう?」
テルが言った。
「わりーな。これから早速有希ちゃんと二次会するわ」
有希も恥ずかしそうにあたしを見てる。
「ふーん。分かった分かった」
テルが小笠原くんを見て笑う。
あたしたちは店を出た。
今日出会ったばかりの二人はお互いに気に入ったみたいで、嬉しそうに夜の街へと消えていった。
(…どうしようかな…)
この前のこともあるし、テルにはお礼がしたいなって思ってた。
ただ問題なのは、自分の中にあるテルへの気持ちだけだ。
だけどテルの方は、いつもの彼と変わらない。
「早いし、どっか飲みに行く?」
あたしは思い切ってテルに声をかけた。
「あぁ、そうだな」
テルは普通に答えた。
テルに連れられて入ったお店は、日本料理中心の大人な感じだった。
女の子同士だとどうしても洋風に偏るから、あたしは新鮮に思った。
いつものようにテルが適当に注文してくれる。
「ねえ、テル……。この前は、ホントにごめんね…」
この前のこと…テルの顔を見て、初めてキチンと言葉にできた。
さっきは有希たちがいたし。
「あ、……あぁ」
テルが適当に頷く。
「…でも、ホントに助かったよ…。ありがと」
あの日は優しくしてくれるテルに甘えてしまったなって思う。
「あー。まあいいよ。…また何かあったら言ってくれてもいいし」
そんな事を言われたら、テルはあたしの言うことを何でも聞いてくれるような気がしてくる。
で、…気持ちまで甘えるようになってしまうのに。
「だけど、…やっぱ…反省した…」
彼女がいるテルに、これ以上我がまま言うのはやめようってホントに思った。
「もういいよ。そんな…しょうがないだろ、あんときのことは」
しょうがないとか、テルがそういう風に言ってくれるのもすごく申し訳なかった。
あたしが遅くならなければテルを呼び出さないで済んだのに。
テルが彼女と過ごす夜のことを、実感しなくても済んだのに…。
(バカだなあ、あたし)
「田崎が、近くにいたら良かったのにな」
(えっ…)
唐突にテルの口から出た先生の名前。
あたしの中にあったモヤモヤが急に棘を出す。
胸が痛いのはどうして。
「………そうだよね…」
あたしは日本酒を飲んで言った。そしてまたグラスに口を付けた。
「…先生が近くにいたらさ、…テルにも迷惑かけなかったかもしれないもんね」
あんな風に夜中に呼び出されるなんて、やっぱり迷惑だったんだろうなって思う。
せっかく彼女が来てたのに、…中断させたのはあたしだ。
「別に、迷惑とは思ってないって」
テルが言った。
「……迷惑だよ……」
なんだか辛い。あたしはテルの顔が見れない。
「お前が決めんなよ」
「なんでよ……」
「なんでって、何だよ」
…自分でも何が言いたいのか分からなくなってくる。
「テルのバカ……」
日本酒が美味しかったせいもある。
テルが隣にいて、ほっとするのにドキドキして、嬉しいのに何だか辛くて…
結構早いペースでお酒を進めてしまった。
だんだんと…気持ちが緩んでいく。
普段、あたしは無意識のうちに先生とのことをすごくガマンしてるんだと思う。
自分でも考えないようにしてる色んなことが、曖昧になっていく意識の中で逆に研ぎ澄まされていくのを感じた。
「テルは彼女と上手くいってるんでしょうー?」
「…まあまあな」
テルはあたしの絡みにもちゃんと答えてくれる。
「いいなぁー、テルの彼女ー」
「別に、特別よくはないと思うけど…」
テルの彼女がいいなぁっていうの、自分で口に出してどういう意味なんだろうって思った。
…だけどそれ以上思考が先に進まない。
「先生はさ…」
「うん」
「会ってるとき、すっごく優しいんだよね…」
「はあ」
「なんかさー、好かれてるって感じ、すっごいするの…」
「…うん」
(あーあ、あたし、テルに何言ってるんだろう…)
そうなんだよね…。
顔を見ることができれば、ああ好かれてるのかもなって実感できることもあった。
「でもさー」
「……」
「会ってない時、あんまり思われてる感じがしないの…」
あたしの悶々とした不満や不安は、ここから来てるんだって、
こんな風に酔っ払って初めて気がついた。
会えない時間、あたしは先生のことばっかり考えてた。
だけどきっと彰士はそうじゃないこと…薄々気がついてた。
だから、…自分ばっかり彰士のことを想ってる気がしてしまう。
そしてそんな風に思う毎日が、…あたしの過ごすほとんどの時間だ。
あたしの目の前のテルは、ちょっと困ったような顔してる。
(こんなこと言われても困るよね…)
あたしはテルの前では、先生といる時よりも素直になれそうな気がする。
テルは友だちだし…。
『友だち』って思ってて、いいんだろうか…。
『友だち』って、こんなにも頼ったりしちゃうものなんだろうか。
『友だち』に彼女がいることとか、こんなに辛くなるものなんだろうか。
彰士のことも、テルのことも、色んな気持ちがゴチャゴチャになって、
それが自分の中でうまくまとまらなくって。
テルに絡んじゃった気がした。
気がついたら、フラフラになってた。
店を出ようとして立ち上がったら、うまく足に力が入らないことに気付いた。
(ヤバイかも…)
「大丈夫かよ?」
テルと歩き出したら、急に気分まで悪くなってきた。
有希たちといたときにも結構飲んじゃったし、…ホントにまずいかも。
「だめー…。テルー…」
こみあげる気分の悪さと戦いながら、あたしの夜の記憶は飛んだ。
目が覚めたら、テルの部屋だった。