「…何かあった?麗佳?」
「えっ……」
「なんかいつもと様子が違う気がする」
日本人には何も関係ないハローウィンの飾り付けが外された途端、街は一斉にクリスマスの雰囲気一色になる。
先生は唐突に時間が空いて、短い時間だったけど日曜日会いに来てくれた。
あたしはすごくそれが嬉しかった。
派手に彩られた街で、彰士の隣でこうして歩けること、…それって去年ホントに夢見てたことだ。
それなのに何だかあたしは上の空だった。
目の前に彰士が来てくれてることでさえ、何となく実感がなかった。
「ちょっとカゼひきかけたかな…」
体は多分、全然元気だと思う。
問題は心だ。
「学生の不摂生?」
彰士が言う。
「やー。そんなんじゃないよ」
って答えながら、あたしはドキっとした。
時間もあんまりなくって、街をブラブラして歩いた。
「麗佳って、何か欲しいモノある?」
「えっ…」
「クリスマスだろ?」
「あ、ああ……」
彼氏がいるのに、あたしの気持ちはクリスマスどころじゃなかった。
「うーん…」
考えてみたけど、先生からはゴージャスなものが貰えそうな予感がして、少し恐れ多い気になってくる。
何てったってこっちはまだ学生だし…。
「ちょっと考えてみるね…ねえ、彰士は何か欲しい?」
あたしは逆に聞いてみた。
「うーん。…じゃオレも考えてみる」
お互いにそんなことを期待しながら、ファッションビルの中をうろうろした。
こんな風にして何気なく過ごす時間……
あたしと彰士には足りなすぎたのかも知れない。
もっともっとこんな時間が、それこそ日常的に積み重なってくれれば
…あたしの心にこんな隙間は生まれてなかったかもしれない。
だけど……
もう抑えられないぐらい、あいつの存在はあたしの中で大きくなってた。
週が明けて火曜日、あたしはテルに今日は会えないってメールした。
どんな顔してテルに会っていいのか分からなかったし、テルの気持ちを知ってしまった以上、
それを無視するみたいな行動をあたしがとれるとは思えなかった。
どんな形であれ、テルには意思表示しないといけないと思っていた。
(どうしたらいいの……)
彼女と付き合ってると思っていた。
具体的にいつ別れたのかは分からないけど、
…前にテルの家に泊まったときは彼女の気配をあちこちに感じた。
(最近なんだろうな…)
全然気が付かなかった自分の鈍さが情けない。
「梶野さん、…全部、1ページ飛んでる」
依頼されてた書類のコピー。
何部か刷って、冊子にして綴じた後だったのに。
「すみません、やり直しますっ」
あたしは謝って、慌てて書類をまとめ直す。
バイトも手に付かなかった。
「大丈夫?何だか集中してないみたいだけど?」
思ってることが全然隠せない自分が、こういう時にはホントにイヤになってくる。
定時であがって、バイト先を後にする。
駅までの道。
テルの家の近くだから、どうしてもあいつのことを考えてしまう。
(今日、どうしてるんだろ…)
今日は会えないとしても、…また顔を合わせて普通に話せる?
…きっとテルなら、そうしてくれると思う。
だけど、自分自身がテルの前で普通でいられる自信がなかった。
(すっごい挙動不審になりそう…)
自分の子どもっぽさが、つくづくイヤになる。
(どうしよう……)
先生のことが好き。
だけどテルのことも好きだ。
今、あたしの生活の中で「先生とテル」との接点がなさすぎて、二人へのその気持ちでさえまるで別のモノのような気がしてしまう。
だけど確かにそれは繋がっていて、…現実に彰士と会っていてもあたしの心の裏側にはいつもテルの陰がある。
(二人と付き合えないかな…)
なんて無茶なことを一瞬考える。
一つの恋愛に対してだって死にそうに不器用なあたしが、そんな器用なことできる筈がなかった。
理屈でキレイにまとめて、その通りに想いが整理されればいいのにって思う。
そうすれば、悩むことなんてきっと何もなくなるのに。
「ね!麗佳っ♪♪今度雄吾と一緒にゴハン行こうよっ」
「えぇっ…?」
唐突な有希の提案に、自分の心を見透かされてるみたいに焦ってくる。
「えっと……、二人で会ったらいいじゃん?」
なんだか言い方が冷たかった気がして、悪いこと言ったかなってすぐに思う。
「うーん。だってさー麗佳のおかげでこうして彼氏もできたし♪♪」
幸せ全開な様子で有希があたしに言う。
あたしが普通の状態だったら、全然オッケーだったと思う。
有希の幸せはホントに願っていたし、小笠原くんだっていい人だったし。
「だって、余りにも幸せそうだしさぁー…」
「じゃ、テルくんも一緒に♪4人だったらいいじゃん」
有希にあたしの気持ちは言ってなかった。自分の中でも感情を持て余してるのに、
人に相談する気にはとてもなれなかったからだ。
(テルと一緒なんて、余計に困るよ……)
あたしはすぐにそう思った。
だけどテルと会う口実が全然考えつかなくて、
もしかしたらこのまま自然にフェードアウトするっていう最悪な状態になりそうな予感もしてて、
…こんな機会がなければテルに会えないだろう。
「うーん……。テルと一緒ならいいけど」
自分でも意外なこと言ったと思う。
「分かった♪じゃ、雄吾にも言っちゃうねー」
有希が無邪気に言う。
あたしはもう深く考えずに、普通に有希の提案に乗ることにした。
何だかんだ思い悩んでも…
……あたしはテルに会いたかった。
このまま会えなくなるっていうのは、やっぱりイヤだった。
先生のことが好きだと思う。
だけど……
テルに会いたかった。
次の週。今までは当たり前のようにテルに会ってた火曜日。
有希との約束で、今日は4人で会う。
テルはいつもの黒いジャンバーを着てて、相変わらず街でも目立ってカッコが良かった。
不思議なんだけど、あたしはテルの姿を見て何だか安心してしまった。
どうやったら普通に会えるんだろうって思ってて、こうして意外な形で自然に会えたことが嬉しかった。
実際に目の前にいるテルはいつもと変わりなくて、…悩み過ぎてた自分がバカみたいに思えてくる。
「それじゃあ、行こうか?」
小笠原くんが先頭に立って、店まで連れて行ってくれる。
飲むのかと思ったら、結構普通に食事だった。
4人のテーブルで、有希と小笠原くんが隣同士で座るのかと思ったら、男女で向かい合わせになる。
まだ隣の方が良かったかも。
顔を上げると、正面にテルがいる。
あたしの目に映るテルは、2週前までの彼じゃなかった。
2週間前まで普通に友だちの関係だったのに…。
多分、心の中ではお互いにすごく意識してると思う。
だけどあたしたちはこの時間を普通にやり過ごす。
(顔を見れて、よかった……)
あたしは目の前にテルがいることに、ナゼかホっとする。
今は自分の気持ちを見ないようにしようと思った。
「相性が合うってあるんだなー」
小笠原くんが呑気に言う。
「なんか、もう長く付き合ってるみたいだぜー。おまえら」
テルが二人をひやかした。
あたしから見ても、本当に小笠原くんと有希は自然な感じだった。
「会った時から、『自然』って感じ…あるよな」
テルが何となく言ったその言葉。
「…うん…」
つい、あたしは小さく頷いてしまう。
テルには聞かれてなかったみたいで良かった。
「彼氏彼女」の関係になってからの有希と小笠原くんを見るのは初めてだったけど、ホントにすごく仲が良かった。
違和感がないって感じ。
こういうのが、いわゆる『恋人同士』っていうのなら、あたしと先生の関係って何なんだろうって思わずにはいられなくなってくる。
あたしは先生の彼女だけど、彰士に思ってることを素直に言えたりってあんまりできなかった。
だけど、…彰士のことは痛いぐらいに好きだと思う。
それなのに……今、目の前にテルがこうしていてくれる事が嬉しい。
(どうしたらいいの……)
あたしは始終上の空で、とってつけたような4人での食事会はすぐにお開きになってしまう。
「麗佳……」
テルがあたしに言った。
「うん?」
2人きりになってしまう苦しさよりも、なぜか今は嬉しさの方が勝っていた。
多分…考えないようにしてたけど、あたしはこの2週間、テルに会いたくて仕方がなかったんだと思う。
そんな自分の気持ちに気付いて、また動悸が激しくなってしまう。
すごく悪いことをしているような気がする。
「送っていこうか?」
あたしはその言葉を期待していた。
「……送ってくれる?」
素直に頷いてしまう。
電車に乗ってテルの最寄駅まで行く。
あたしがバイトで週に何度も通っている駅でもある。
「寒くなったよね…夜なんてホントに」
駅を降りて、あたしは何気なく言った。
「そうだな。何かちょっと前まですごく汗かいてた気がするのに」
テルの吐く息が白い。
どうしてだか、その息にさえ愛しい感情が生まれてしまう。
テルの唇。
気になりだすと色んなところが気になって仕方がなくなってくる。
ハンドルを握る指先。
あの指で、体中を触られたこともあったんだなって思う。
そしてその唇で…。
あたしはテルの横に座って、そんなことばかり考えていた。
テルと付き合ってた頃のことは、もう昔過ぎてあんまり思い出せない。
今、テルに抱いている気持ちと比べると、付き合ってた当時ってホントに何となく一緒にいたんだなぁって思う。
そして何となく抱かれて。
別に抱かれたいとかそういう欲求からセックスしてたわけじゃなかった。
(………)
あたしは今、テルに抱かれたいと思っていた。
理屈じゃなかった。
隣にいるだけで、テルの気配を感じるだけで興奮してドキドキしていた。
彼女と別れたテル。
テルのことだから、このままならきっとすぐにまた新しい彼女ができて、その子がテルにとって一番近い存在になるんだろう。
…そしてまたあたし以外の女の子を抱くんだ。
―――― あたしはそれに耐えられる?
色々と想像してたら、切なくて涙が出そうになってくる。
黙ってたら完全に自分の世界に入ってしまいそうな気がして、あたしはテルに話し掛けた。
「年末とか、神奈川の家に帰るんでしょ?」
「うーん。1日ぐらいは帰ると思うけど……。今年中に帰るかは分かんないな」
あたしは付き合ってたことがあるのに、テルの家に行ったことはなかった。
うちから3駅違いで、そんなに遠くないのは分かってたけど、具体的な場所とかは知らなかった。
「麗佳は……」
「うん?」
「いや、何でもない」
テルが真っ直ぐ前を見る。
大体、何を言いたかったのかは想像ができた。
あたしの休日の話は、イコールで先生と結びついてしまう。
テルが言葉を濁したのも、そんな理由からだと思う。
大事なとこに、触らないように……
今、私たちは2人きりの空間にいる。
あたしはテルと2人でいる時の空気感が好きだ。
この感じを、…このまま自分の腕からすり抜けさせるように、放り出せるんだろうか。
こんなにも……心も体も求めてるのに…。
先生のことが好き。
テルと、先生、どっちの方が好きかって言ったら…
…本当に今は同じぐらい好きなんだと思う。
だけど、だけど……。
「何か言った?」
テルがあたしを見る。
「ううん、何も言ってないよ?」
急に言われて、あたしは自分の気持ちが見透かされたのかと思って焦る。
「ふぅん……。麗佳は何日までバイト?」
「えーっと、26日かなぁ。多分…。最終日は掃除要員だよ」
何気ない話題に、空気が紛れていく。
テルの横顔を見てると、触りたくてたまらなくなってくる。
こんなに近くにいて、テルがあたしのことを好きでいてくれるのも分かっているのに…。
どうしてあたしたちはこんなに遠いんだろう。
このまま、何もなかったみたいに……あたしは普通でいられるわけがなかった。
どうしても抑えられない愛しい気持ちに、目を開けていられなくなるぐらいなのに。
あたしの家に着く。
今度いつ、テルに会えるんだろう。
こんな風に偶然を頼っての機会なんてもうあるわけなかった。
自分でもどうしていいか分からない。
だけど……ちゃんと言わないといけない…。
「じゃあね、テル。また……あたしからメールするから」
何とかあたしはそれだけ言った。
テルはあたしの言葉に意外な顔をして、しばらくして答えた。
「あぁ、じゃあ、またな」
テルの黒い大きな車が行ってしまう。
メールするからなんて言っちゃったけど、どうしよう…。
『会えない』という選択肢を、
…どちらかにしないといけないところまで来ていた。
どちらを選んでも……辛いのは分かっているのに。