「今日、どうする?」
「どうしようか」
夕方の街、輝良は少し前を歩く麗佳の後ろ姿を見つめた。
(何、言われるんだろ…オレ)
確かに麗佳のことを好きだと言ったが、『別れろ』とか『付き合ってくれ』とか、
輝良の方からはそういった事は何も言わなかった。
実際に、何かを期待していたわけじゃない。
ただ自分の気持ちを伝えずにはいられなくなっただけだった。
(…何を言われるにしても……どっちにしろ、ダメなんだろうな)
自分が報われないということは分かっていた。
あの告白が、麗佳を苦しめるだけだったということも。
輝良は今日が来るのを怖れていた。
しかし同時に久しぶりに麗佳に会えるという嬉しさもあった。
(もしかしたら、会えるのも今日最後だったりして…)
そう考えると、輝良は麗佳の顔が見れないほど緊張してしまう。
麗佳も緊張していた。
これからどうやって自分の気持ちを伝えたらいいのか、とても的確な言葉では表現できない気がした。
輝良から『好きだ』と言われたのは1ヶ月前。
女の子には不自由しない彼が1ヶ月も経ってしまったのに、まだ自分のことを好きでいてくれるかどうか、麗佳は自信がなかった。
(呼び出しちゃったけど…)
頭の中では、何一つまとまっていなかった。
「寒いね…」
街路樹には電球が巻かれ、街は派手に飾られていた。
ビルの店先も通常よりもぐっと明るい。
景色のどこを切り取っても、クリスマスに染まっていた。
街はカップルが多くて、麗佳と輝良もそんな雑踏に紛れる。
「車で来たの?」
麗佳は輝良に聞いた。
「あぁ、停めてきた。…今日、駐車場もすごい混んでるな」
「お店もどこも混んでそうだよね。…ねえ、…テル、…おなか空いてる?」
麗佳は唐突に輝良に振り向く。
そして足を緩めた。
「……いや…あんまり」
いつもなら空腹になってくる時間なのに、緊張していて輝良は全く感じなかった。
「…あたしも…」
麗佳がふと立ち止まる。
「やっぱ、お茶にしよっか」
そう言って麗佳は輝良を見上げた。
輝良も、とても食事をする気分ではなかった。
「ああ、そうしようか」
「…あ、あそこは?」
麗佳が指をさした。
立ち止まった交差点の先、2階のガラス越しに喫茶店が見えた。
食事時なのでカフェは空いていて、そして店内は広そうだった。
「おお、そうしよ。寒いしな」
そう言いながらも、輝良は寒さなんて感じてはいなかった。
二人は信号を渡ると、階段を登って2階のカフェへ向かった。
白を基調とした店内は、赤い座面のポップなチェアーが並ぶ。
客と客の間のスペースが充分にとってあって、外から見るよりも広い。
「どうぞ」
腰に黒いエプロンをした店員に窓際へと案内される。
二人とも上着を脱いで、お互いの隣の席に置いた。
「テルのジャンバー、…でっかいね」
麗佳はそう言って思わず笑ってしまう。
「そうか…?…ホントだな」
自分のがさばった上着を見て、輝良も言葉を返す。
店員が注文を取って行ってしまうと、お互いに少し沈黙してしまう。
何となく気まずかった。
(ああ……何言われるんだろな…)
輝良は無意識にため息をついた。
そんな彼の様子を見ていると、麗佳はだんだんと不安になってくる。
(もしかしたら…あたし一人で突っ走っちゃったのかも…)
少し緩んでいた気持ちが、また緊張感を増してしまう。
(もう…テルはこの前の夜言ったことなんて、とっくに忘れてたりして…)
お互いの不安が不安を呼んで、輝良も麗佳も何も言い出せなかった。
飲み物が運ばれてくる。
「………」
「………」
「…テル……あのさ…」
「………うん…」
輝良は麗佳を見た。
麗佳は輝良とは目を合わさずに、手元を見ていた。
「あのね……」
そのまま彼を見ずに、言葉を続ける。
「あたし、先生と別れちゃった」
「えぇ……」
輝良はあまりの驚きで、小さく声を発しただけだった。
(…マジで…?)
思考が全然ついていかなかった。
(何でだよ…?)
麗佳が田崎のことを真剣に好きで、だけど何となくモヤモヤしてそうだとは輝良も感じていた。
輝良がとっさに考えたのは、二人が上手くいかなくなって別れたっていう状況だった。
「…なんで…」
輝良は無意識に口にしていた。
麗佳はその言葉に答える。
「テルが…」
「………?」
輝良は自分の名前が出るとは思っていなかった。
「あたし……テルのこと…好きになっちゃったから…」
麗佳はちょっと泣きそうになってくる。
輝良はそう言われても、言葉の意味が全く頭に入っていかなかった。
(ど……どういうことだよ?)
輝良は何も言えなかった。
「テルが、…あたしのこと……好きだなんて、…言うから…」
ほとんど涙目で、麗佳はテルを見た。
「…………」
(ウソだろ…?)
100%振られる覚悟で来ていた輝良は、麗佳の言葉が信じられなかった。
(なんでだよ……?)
「だから、別れたよ…」
麗佳は半泣きになっていた。
田崎との別れから、まだ全然立ち直れていなかった。
今でも、『別れた』ということを思い出すと自然に目が潤んできてしまう。
輝良は『好きだ』と言う麗佳の言葉が信じられなかった。
しばらく二人とも沈黙する。
輝良は麗佳をじっと見た。
そして重い口を開いた。
「おまえは、…それでいいのか?」
「えっ…」
「お前………あいつのこと…すごい好きだっただろ?」
「…………」
それを口に出して認めるのは輝良にとっても辛いことだった。
突然に麗佳に告白されても、輝良は何となく納得ができなかった。
「テル……」
麗佳はどう答えていいのか、一瞬言葉に詰まった。
(テルが、…そんな風に思っていたなんて)
確かに自分の行動を考えれば、輝良がそう思うのも仕方がないのかもしれないとも思う。
しかし、やっと決断した自分の気持ちを…まるで見透かされるかのようなその言葉が、麗佳には少しショックだった。
「…確かに、…先生のこと好きだよ…」
輝良はその答えに、正直落ち込む。
麗佳はそのまま言った。
「だけど、……あたしは……」
(テルは……)
麗佳は急にドキドキしてくる。
(テルは……?)
「テルが……」
自分の気持ちがもしかしたら受け入れられないのかも知れないと感じて、麗佳は不安で一杯になってくる。
(だけど…ちゃんと言わないと……)
「テルのことが、…好きだから……もう、先生とは付き合えないよ…」
改めてそう言葉にすると、色々な想いで胸が締め付けられる。
麗佳の頬に涙が一筋伝う。
「麗佳……」
輝良は戸惑っていた。
まさか麗佳が田崎と別れたなんて、考えもしていなかったことだった。
そのうえ、麗佳が自分のことを好きだと言う。
「………」
言葉が出てこなかった。
もう会えないかと思って覚悟もしていた。
だからこそ、麗佳の言葉は素直に嬉しかったのに。
目の前の涙する麗佳が、輝良には切なく見えて仕方がなかった。
その姿は、輝良の胸を締め付ける。
(ホントに、オレでいいのかよ…?)
輝良は麗佳へと手を伸ばした。
テーブルの上の麗佳の手を握った。
「麗佳…オレ……」
輝良の言葉で、麗佳は空いている方の手で涙を拭いながら顔を上げた。
見つめ合った。
輝良の目には、麗佳は切なさの塊のように見える。
悲しそうで、寂しげで……しかし、麗佳は自分を選んでくれた。
麗佳の方は自分を見つめる輝良の表情に、やはり不安を感じていた。
自分の上に乗る輝良の手を握り返すこともできないままだった。
「オレ、……ずっと麗佳のこと好きだったから」
そう口に出すと、輝良の気持ちもこみ上げてくる。
(ずっと、…マジで好きだった…)
まさかこんな風にもう一度、こうして手を取る日がくるなんて、…自分の妄想で終わるものだと思っていた。それもついさっきまで。
「麗佳のこと、…受け留めるよ」
「テル……」
「田崎のことを考えて…元気のないお前も…オレは受け入れるよ」
「…………」
『ずっと好きだった』という言葉も、『受け留める』ということも、…麗佳の胸の奥に重く響いた。
(あたしは、いっつもテルの優しいところに甘えてばっかりだ…)
自分を見る輝良の表情が、すごく優しい。
そんな彼を見てると、益々切なくなって涙が滲んでくる。
(ごめん……テル……)
「ありがとね……いっつも…」
堪えられなくて、やっぱり涙が出てしまう。
「ごめんね…いつもいつも…甘えて…」
麗佳は輝良の手を離した。
両手でバックを開けると、中からハンカチを出して顔に当てた。
「いいよ……オレ、麗佳には甘えて欲しいから」
「テルぅ……」
(やばい、……やっぱりテルのこと、…どうしても離したくない……)
麗佳は胸が詰まった。
さっきまで輝良に感じていた不安な気持ちが、あっという間に溶かされていく。
(なんかすごい甘えたくなってくる…)
輝良への気持ちが、自分の中からどんどん溢れてくる。
「…こんなあたしで、……ごめん」
(あぁ、また顔がぐしゃぐしゃだ……)
「いいよ……」
輝良は麗佳を見つめた。
田崎のことを想って泣かれても、輝良は自分の気持ちは変わらないと確信した。
麗佳のことが好きだった。
今までがそうだったように、多分これからも。
「あのさ……テル…」
涙声のまま麗佳が言った。
「うん?」
遠くから店員が二人のやりとりを見ていた。
輝良はチラっとそちらを見るが、すぐに麗佳へと視線を移す。
別れ話でもしているように見えるのだろう。
(本当は逆なのにな……でもどうなんだろうな)
輝良は心の中で苦笑する。
「あたし、…まだ、…全然立ち直れてなくって」
麗佳はハンカチを握る。
「ああ」
「すぐに……付き合ったりとかって…まだ…ムリそう…」
「…うん」
輝良はそんな麗佳の言葉にドキドキしてくる。
麗佳を手に入れたとは思えなかった。
彼女の気持ちがすぐに裏返って、自分から離れていってしまうような気がしていた。
『好きだ』という言葉の不確かさを痛感する。
その気持ちの奥深さも。
「待ってて…くれる?」
「……ああ」
輝良は頷いた。
『待つ』ということ。
そういう意味では、今までだってずっと麗佳を待っていたのかもしれない。
ずっと閉じ込めていた彼女への想い。
自分のことを好きだと言ってくれた麗佳。
しかし麗佳の中の田崎の存在は、自分がどうこうできるものではない。
(待つ、か……。それしかないんだろうな)
レジで精算して、階段を下りる。
途中の踊り場で、麗佳は輝良に言った。
「クリスマスまでには、…多分…何とか普通の自分に戻るから」
麗佳は不安そうに輝良を見た。
「待っとくよ」
輝良は麗佳に手を伸ばす。
「…………麗佳」
輝良は麗佳を抱きしめた。
(テル……)
麗佳も輝良に腕を廻す。
ジャンバーが大き過ぎて、麗佳は輝良を抱いているような気がしなかった。
「…クリスマス、…テルを一人で過ごさせるっていうのは…ね…」
体を離して麗佳は言った。
「浮気なんてしないよ、バカ」
輝良は笑った。
「車で送らなくていいのか?」
「ここまでで、いい」
地下鉄の改札の入り口で、麗佳は切符を買う。
「………」
見つめ合うだけだった。
さっきからお互いに、言葉が見付からない。
「メールは、してもいいか?」
輝良は麗佳に言った。
「うん……」
麗佳はちょっと笑う。
「あんま、…気、使わないでね…」
「ああ」
輝良は両手をポケットに入れたまま、少し肩をすくめた。
「それじゃな」
「うん、…またね」
麗佳は潤んだ目で輝良を見る。
「またな」
輝良は思わず力を込めて言ってしまう。
改札に入って人込みに紛れる麗佳を、輝良は見送った。
今日の全ての出来事に、実感が持てないままだった。
(別れた……か…)
信じられなかった。
麗佳に『好きだ』と言って以来今日まで、もう彼女のことは諦めかけていた。
諦めなければいけないと思っていたのに。
(待つ…しかないのか)
地下鉄の出口を登りきる。
夜空ですら明るく見える年末の街を見上げながら、輝良は携帯を握り締めた。