ビター(夢色続編)

CLOSE10 ☆☆ 田崎先生 ☆☆

   

「久保さん、この資料…用意しておいて貰える?」

「はい」

あたしは自分の席を立って、先輩からリストを受け取ると資料室へと向かった。
廊下で見慣れた後姿が見える。
「矢部さん、お久しぶりですっ」
バイト時代の先輩に声をかけた。
「あ、梶野さん」
バイトを始めたときから数えると4年経った今でも、先輩は全然変わらなかった。
結局あたしはバイトのツテみたいな感じで、ほとんどコネ状態でこの会社に就職した。
矢部さんはあたしの首から下がっている名札を見ると、笑って言った。

「あぁ…、もう梶野さんじゃないんだっけ」


入社して半年になる。
9月に入ってもまだまだ外は暑く、それに対して社内は寒いぐらいに冷房が効いていた。
バイト時代と部署は変わったけど、何となく通いなれたこの会社はあたしには結構居心地が良かった。
「ああ、あったあった」
先輩に頼まれた資料はすぐに見つかった。
「けっこう重いじゃん…もお…」
本を抱えて、来た廊下を戻る。


卒業してすぐに、あたしはテルと籍を入れた。
式は海外で、卒業旅行兼みたいな感じになってしまった。
「入社する前に名前が変わってた方がいいだろ」
とかワケのわかんない理由をつけられて、テルに押し切られるみたいな感じで結局就職と同時に結婚を決めた。
なんだかんだ言っても、結局は二人が離れていなきゃいけない理由が全然なかったから、
あたしも自然に決断することができたんじゃないかと思う。


「ただいま」
玄関がガチャガチャして、テルが入ってくる。
「おかえり、結構早かったね」
廊下に出て、あたしはテルに声をかけた。
テルは放り投げるように脱いだ靴を、直していた。
「鈴木たちもさ、もう社会人だからーとかって、あんまり無茶しなくなったから」
あたしに近付いたテルはちょっとお酒の匂いがした。
テルは今日、会社が終わってから高校の同級生と飲みに行っていたはずだ。
時計を見ると11時だった。
「12時過ぎるかと思ったよ」
あたしは言った。
テルは仕事の関係の人と飲みに行くと、朝方まで帰ってこないこともあった。
あたしはあんまりそういう事気にしない方だから、そういうのも仕方がないのかなって思ってた。
何て言っても、テル自身がまだ遊びたいだろうし。

結局、テルもバイト絡みでそのままレコード会社に就職してしまった。
就職活動時代のテルの根回しの良さは、我が彼氏ながら素晴らしいものがあった。
そういえば、うちの家族に対しても根回しはすごかったっけ。
「着替えてくる、…麗佳、もう風呂入ったんだな」
あたしをチラっと見てテルは言った。
ちょうど髪の毛を乾かしかけてて、テルが帰ってきたんだった。

テルは会社にスーツを着て行っていない。
今日はベージュの綿パンに、普通にTシャツを着てた。
Gパンで会社に行く時もある。
業界人は楽でいいなぁと、あたしは思う。
あたしがOLっぽいのに、テルはまるで学生のままみたいだった。
生活パターンも、学生みたいに不規則だし。

ドライヤーの続きをしに、あたしもテルと一緒に洗面所に入る。
Tシャツを脱いだテルの肌、やっぱり男の匂いがする。
テルはあたしを見てニコっとすると、手を伸ばしてあたしを抱きよせる。

「……」

あたしにちょっとキスすると、またニコっとした。
すぐに全裸になってバスルームに入っていく。
あたしは何だか嬉しくなって、ドライヤーを手にしてスイッチを入れた。
付き合って4年になるけど、あたしたちはまだまだ新婚だったんだ。
テルが脱ぎ捨てた服を、あたしは丁寧にカゴに入れ直した。


「ビールって、まだあったよなー?」
上半身裸のまま、テルは冷蔵庫を開ける。
「飲んできたんじゃなかったっけ?」
リビングのテーブルについて、あたしはテレビのスポーツニュースを見ていた。
「あんまり飲んでないよ。メシ食ってきたって感じで」
お風呂のいい匂いをさせて、テルはビール缶を持ってテーブルに来る。
「飲む?」
テルはあたしに聞いた。
「んー、コップ出すよ」
あたしはすぐ側にある食器棚からグラスを2つ出して、テルに渡した。
テルは上手にビールを注いで、あたしに返してくれる。
「テルってビール注ぐの上手いよね」
泡立ち加減といい、すごく美味しそうに見える。
あたしは毎度感心してしまう。
「オレの得意技だから」
濡れた髪をタオルで拭きながら、すぐにテルはグラスのビールを飲み終わる。
長い指を伸ばして、またグラスにビールを入れる。
それを見ているあたしと目が合うと、やっぱり微笑み返してくれた。

(テルは、会社で、もてるだろうなぁ…)
自分の夫に対してこんな風に思うのはなんだけど、実際テルみたいな男ってあたしの会社にはいなかった。
何てったってテルは理系とは反対のとこにいるみたいな人だったし。
街でも目立つのに、こんな人が会社にいたら…すっごい目立つだろう。
(結婚しておいて、良かったかも…)
テルの会社はとにかく飲む連中が多くて、結婚してるのを理由にテルは早く帰ったりしていた。
普通の新入社員だったら、いつまでも付き合わされてたみたいだった。
(うん、…色んな意味で良かった)
鎖骨から肩にかけての筋肉、華奢に見えて実はがっしりしてるとこ…やっぱりテルは男としての魅力がたくさんある。

「高校の友だちと会うのって、ちょっと久しぶり?」
あたしは何気なく言った。
「今日、伊東とかも来ててさ…あいつなんて何年ぶりって感じだよ」
テルは2本目のビールを開ける。
「夜中、トイレ行きたくなるよ」
あたしは笑ってしまう。
「爆睡するから平気」
テルも笑って返す。

「…なぁ、麗佳」

「なーに?」
急にちょっとマジメな顔で話し掛けられて、あたしはドキっとする。

「…やっぱ、…いいや」
テルがあたしから目を反らす。
「えー、なに?なによ?…すっごい気になるってそれ」
あたしは身を乗り出して、言った。
「…気になるよな、今の言い方」
自分で言っておいて、テルはそんなこと言う。
「なに?……なんか壊したりした?」
あたしのその言葉を聞いて、テルはちょっと笑った。
「壊してねーよ。…あのさ、…先週さ…」
テルは切り出した。
あたしはイスの背もたれに戻って、テルの話を聞く。
「先週、実は高校の同窓会があったんだよな」
「え?そうなの…」

先週末、自分たちが何をしてたか思い出す。
「あれ?あたしと一緒にアウトレット行ってなかったっけ?」
「だってオレ同窓会行ってないもん」
テルがビールをまた飲む。
一旦立ち上がって、部屋に持ってきていた新しいTシャツを着た。
「行けるかよ?元カノはいるし、担任は嫁さんの元カレなんだぜ?」

「ああ……そう…」
思えばテルのクラスって、あたしにとっては何か怒涛のメンツだ。
「今日、鈴木たちに会ったじゃん」
「うん」
「あいつらは、同窓会行ってるからさ」
「そうなんだ」
あたしは何だか胸がザワザワする。
テルが何を言おうとしてるのか、まるで超能力者みたいに予感する。


「田崎、結婚したらしいぜ」


「…………ふーん」

予感が的中過ぎて、あたしは何とかそれだけ言った。
テルの言葉を聞いて、すごい動揺してくる。

先生が、結婚した……。
って、あたしも結婚してるじゃん……。
でも、……

彰士、結婚したんだ……


「い、いつ…?」

あたしはテルに聞いた。
「去年らしいけど……もう子どももいるらしいぜ」
「……そうなんだ…」

子どもまでいるんだ……

だって、彰士…何歳よ…。
そうなっても、全然不思議じゃない。
大体、彼の年齢で独身っていう方がおかしい。

彰士……結婚したんだ……


「そう、あからさまにへこむなよ…」
テルに突っ込まれるぐらい、露骨に態度に出てると思う。
「……別に、へこんでなんて…」
ショックだ。
田崎先生、去年結婚したんだ。
子どもって…。
相手の女の人って、どんな人なんだろう。
何歳の人なんだろう。
……どんな人なんだろう。

幸せなのかな……
幸せなんだろうな……

良かったって思う気持ちもある、でも、…やっぱりショックだな…。

「お前だって、オレともう結婚してるじゃん」
テルは缶を潰しながら、あたしに言った。
「そうなんだけど…。やっぱ、急に言われると動揺するって」
あたしはビールを飲んだ。

「そうなんだ…結婚したんだね、先生」


先生の隣には、あたしと違う女の人が。
先生の側には、あたしの知らない人がいる。
そうなってもちっともおかしい事じゃない。
あたしが今、こうしているように、…彰士にも同じだけの時間が流れて、きっとその間にまた想いを重ねたんだろう。
ほっとしたような、それでいてどうしようもなく寂しいような…
これが現実なんだけど、……なんだかピンとこなくて…


何だか上の空のまま、あたしはやたらにテルとどうでもいい会話をして、そのままベッドに入る。
手を伸ばすと、あたしの隣にはテルの温もりがある。
触れると、テルはあたしの方へ体を向けた。

「麗佳、オレと一緒になって、……良かった?」
テルは真面目な顔で言った。
テルの言いたいことは、分かってる。
真っ直ぐな視線。
もう見慣れてきてるけど、男の人なのに長い睫毛に感心する。

あたしはテルを見つめ返して、暫くしてから言った。


「……どうかなぁ?」

あたしは笑ってテルの手を握った。
あたしを見るテルの目はすごく優しくて、そしてすぐに笑顔になる。

「むかつくヤツ」

テルはそう言うとあたしを引っ張った。
あたしは思い切り抱きしめられた。



人生って不思議だなって思う。
人の気持ちも…。
あたしが先生のことを想って過ごした高校時代は確かに現実で、あの時の気持ちは今でも切なく痛いまま、自分の中に確かにある。
それでも違う時間を重ねて、今はまた違った想いで先生のことを考えてる。
(幸せなんだ……)

今思えば、先生にとってのあたしって、どんな存在だったんだろう。
最初から最後まで、結局はよく分からないままだった。

(いつか……会える日が来るかな…)
『麗佳は表情に出る』ってみんなに言われるけど、その時あたしはどんな顔になるんだろう。
幸せそうな先生に、あたしも幸せな顔で返せるかな…。
そんな日が、いつか来ればいいなと思う。
(そうか……)
あたしの高校時代はイコールで先生に繋がる。
いい加減だった高校入学当時…あたしの今があるのは、全部先生のおかげだと言ってもいい。
彰士がくれたものは、あたしのあちこちに残ってる。




次の日、あたしはテルに内緒で、ダイヤのピアスをつけて会社に行った。
空の青さが、沁みるほど眩しい日だった。


〜ビター(bitter・2006/3/8完結)〜
 

長い連載になりました。当時読んで下さった方、10年以上経って初めて読んで頂いた方、そしてまた読んで下さった方、お付き合いいただいた全ての方へ感謝します。(2017/1/30柚子熊)
当時のコンテンツ色々はこちらで見られます

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