ビター(夢色続編)

CLOSE7 ☆☆ 春風 ☆☆

   

春休みに入った。
輝良と麗佳は車で横浜まで来ていた。

「横浜、久しぶりだな…」
輝良は海沿いの道を走りながら、そう言った。
麗佳は横浜というと、どうしても田崎のことを連想してしまう。
(去年の今頃は……)
遠く向こうに見える橋を見る。
(先生と、一緒にいたんだよね…)

輝良と付き合いだしてから、ほとんど毎日一緒に過ごしていた。
自分の中を隙間なく埋めて、そして優しく包んでくれる彼のことを、麗佳はやはり誰よりも愛しいと思った。
(こんな風に変わるなんて……)
泣いてばかりいた去年の2月のことを思い出す。
ほんの数ヶ月前、12月だって随分泣いた。
(去年は、一生分泣いたかもなぁ…)
「窓、開けてもいい?」
麗佳は輝良に聞いた。
「おお、今日あったかいよな」
輝良は目を細めて、サングラスをかけた。

二人で軽くお茶をした後、駐車場で輝良が言った。
「麗佳、家まで運転してみる?」
「えー…ホントに?」
「全然運転してないってわけじゃないだろ?」
「うーん…。でも家の車で、近所に買い物ってぐらいだよ?」
唐突な輝良の提案に、麗佳は急に緊張してくる。
「だーいじょうぶだって。オレがついてるし」
そう言って輝良は助手席に回った。

平日の夕方、道路は混み始めていた。
「もしかして、テル……。ちょっと疲れてる?」
麗佳は隣にいる輝良の様子を見て、言った。
「んー、…ま、大丈夫」
「ホント?」
午前中から待ち合わせをして会っていた。
麗佳は輝良にすぐ迫られて、二人は昼前からホテルに行っていた。
そしていつものように、輝良は麗佳をたっぷり愛した。
(やっぱり、疲れちゃうよねぇ…)
麗佳はハンドルを握り締めながら考えた。
渋滞しかけている道路はのろのろと車が進み、
麗佳は運転しているというよりも時々ブレーキを緩めているといった感じだった。
「ああ、それより今、オレ結構緊張してる。自分が運転するより」
「……そうだよね…」
車高の高い輝良の車は運転しやすかったが、慣れない車に麗佳も緊張していた。
「不思議だよな…」
「うん?」
「こんな風に、…麗佳の助手席に乗るなんて…去年全然考えてなかった」
輝良も同じ様なことを考えていたんだなと、麗佳は思う。
「あたしだって、そう思うよ。…それに、自分が運転してるってこともビックリ」
麗佳は前を向いたまま笑った。
「オレさ……」
輝良の声が固くなる。

「……麗佳と付き合えて、良かった」

(テル……)
麗佳は胸が締め付けられるような気持ちになる。
「…うん……」
輝良のことが愛しい。
去年、輝良と親しくなることがなかったら……今頃きっと田崎と過ごしていたんだろう。
(どうだったんだろうな…運命って……)
分岐点とか、方向性とか……あるのかも知れないなと、麗佳は思う。
それでも、結局道を選ぶのは自分だ。

「なあ、麗佳」
「なに?」
車が流れ出す。
あと10分もしないうちに麗佳の家に着いてしまいそうだった。
「祐一、いるかな」
「ああ……いるんじゃないかな?
ねえ、…あたし、未だに祐一とテルの関係って分からないんだけど?」
麗佳はハンドルを切った。
左折で後ろの歩行者を確認する。
横でダラっと座っている輝良も目に入った。
「うちでちょっと休んでいく?」
「うーん」
輝良が外を見る。
「なんか、ダルそうだよ。…ちょっと休んでいけば?」

麗佳の家の駐車場は、父親が車通勤しているので空いていた。
そこに麗佳は車を停める。
「うわー、車体感覚が全然つかめないよー」
「傷つけんなよ、外で見ようか?」
「…だ、大丈夫」
なんとか車庫入れが終わると、玄関口に麗佳の母親が出てきていた。

「なんだ、麗佳か…。知らない車が入ってきたと思って」
「ただいま」
麗佳が言うと、輝良が横から間に入ってくる。
「こんにちは。はじめまして…久保輝良です」
とってつけたような笑顔で、輝良が挨拶をした。
「あ、…こんにちは」
麗佳の母もつられて笑顔になる。


リビングで麗佳がお茶を入れている間、母親と輝良は何か盛り上りながら喋っていた。
(初対面なのに、何、会話はずませてんの…)
久しぶりに輝良の外面の良さを見て、麗佳は苦笑してしまう。
それに、母親もまんざらではない様子だった。
(女キラーなんだよね、そう言えばテルは…)

3人で世間話をした後、リビングに麗佳の弟が制服で入ってきた。
「高校生はまだ学校か」
輝良が祐一に声をかける。
「あれ、テルさん、なんでいるの?」
祐一は本当に驚いている。
輝良は立ち上がると、少し祐一と話してすぐに一緒に2階へ上がってしまう。

(自分のうちじゃないんだから……)
初めて来た輝良の馴染みっぷりに、麗佳は感心する。
「麗佳、…あんなカッコいい子と付き合ってたの?」
「…一応……」
母親の好感度が間違った方向に上がりそうだなと、麗佳は思った。


「オレが紹介した子とは、その後順調なんだろ?」
輝良が祐一に言った。
「まあまあっす…。年上って、…いいですねぇ…あ、その辺に座ってください」
祐一が制服のブレザーを脱ぎながら言った。
「あんまり悪さするなよ、麗佳に怒られるから」
輝良の言葉に、祐一は笑う。
口元が麗佳に似ていた。
「ねえ、テルさんって麗佳のどこがいいの?」
「うーん?」
輝良が祐一を見て不思議な顔をした。
「だってテルさんだったらさ、めっちゃモテるし、…わざわざうちの姉キなんて…あいつ愛想ないし」
それを聞いて輝良はニヤニヤする。
「まあ、弟には……分からんだろ。っていうかオレのライバルになられても困るし」
「絶対なりませんよ……。ボク、姉よりも断然男兄弟の方が良かったなあ」
座った輝良の横で、祐一が遠慮がちに腰をおろす。
「大丈夫、オレがなってやるって」
そう言って輝良は笑った。

「そうだ、テルさん…、ライバルっていえば、
ボクの同級生のヤツとか麗佳のこと紹介してくれとかって言ってきますよ」
からかうように祐一は言った。
「お前、そういうの、…絶対やめろよ」
輝良は真顔で答えた。


「何やってんの……」
麗佳は夕食の支度を手伝っていた。
輝良は祐一の部屋に行ってから、小一時間戻ってこない。
「もー、ちょっと見てくる」
母親にそう言うと手を拭いて、麗佳は2階の祐一の部屋へ向かった。

「ちょーっと、入るよ」
麗佳は祐一の部屋のドアを開けた。

「………」

男二人が麗佳に振り向く。
輝良と祐一が並んで座って、ゲームしていた。


「…仲良しなのね…」
「まあな…」
麗佳の部屋に、輝良は初めて入った。
「麗佳の部屋かーー…。へー」
「あんまり見ないでくれる?」
「じゃあ、見ない」
輝良は、振り返る。

「…………」

輝良は麗佳に、立ったままでキスした。

「……やっ…」
麗佳は輝良にベッドに押し倒される。
「ダメだよ…向かいが祐一の部屋なんだから」
小声で麗佳は輝良に言った。
「別に襲わないよ」
輝良は笑って麗佳を抱きしめた。
「…テルってさ……」
「うん?」

(弟の手なづけ方とか、母親の好感度っぷりとか…… なんか、改めて…すごい人なのかも…)
輝良の腕の中で、麗佳は思った。
「…やっぱ、…すごい好き」
それだけ言うと、麗佳から輝良にキスした。


麗佳と母と弟と、輝良の4人で和気藹々として食事が終わる。
帰り際、車まで麗佳は見送りに出る。
「テル……」
玄関から車庫までのごく短い距離なのに、二人は手を繋いでいた。
「疲れてそうだったのに、余計疲れちゃったんじゃない?」
「そんなことないよ、お母さんも可愛らしいじゃん。祐一そっくりだけど」
手を繋いだまま、輝良はリモコンキーで車のロックを解除する。
「気をつけてね」
麗佳は心配そうに輝良を見た。
「ああ」
輝良は麗佳を引き寄せて軽くキスして、手を離した。
「じゃあ、また明日…麗佳が起きたら電話して」
「うん、……テルもその前に、今夜家に着いたらちゃんとあたしに電話してよ?」
麗佳は車から一歩遠ざかる。
頷きながら輝良は運転席に乗り込んだ。
「それじゃな」
「…ホントに気をつけてね」

輝良の車が行ってしまうのを見送る。
今日、疲れていた彼が気がかりだった。
(気をつけてね…テル……)


麗佳は部屋に戻っても何となく輝良のことが心配だった。
(もしも、…テルに急に何かあったら…)
想像するだけで胸がザワザワしてしまう。
(あたし、生きていけないかもな……)
今までに感じたことのないような不安が、初めてリアルに麗佳の中に生まれる。

(あたし…テルを絶対失えない……)

自分を包んでくれる彼の優しい全て、いつしかそれに寄りかかりきっている自分に気付く。
(大丈夫かなぁ…)
改めていつになくしんどそうにしていた輝良の顔が思い出される。

何をしても集中できなかった。

やっと輝良から電話が来た時、麗佳は心からほっとする。
もう、彼を『失う』ということが考えられなかった。
「テル……」
『なに?』
いつもと変わらない輝良の声。
「…なんでもない…」
麗佳は心配しすぎていた自分が恥ずかしくなる。
『なんだよ、…気になるじゃんか』
笑いながら輝良が電話口の向こうで言った。

(側にいて欲しい―――いつも…)

今まで感じていなかったほどに切実に、麗佳は思った。

 

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